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西洋古典学って、ご存知ですか?

『聖なる鹿殺し』とギリシア悲劇

先日、映画『聖なる鹿殺し』を観てきました。

原題はThe Killing of Sacred Dearで、日本語題はそのまま訳したものになっています。

このサイコホラー映画の監督はギリシア生まれのヨルゴス・ランティモス氏です。日本で公開された彼の作品にはほかに『籠の中の乙女』『ロブスター』があります。

『聖なる鹿殺し』のストーリーやキャスト・スタッフ情報は公式ホームページをご覧ください。

 

さて、この映画を語る上でところどころ話題に上がっているのが、悲劇作家エウリピデスによる『アウリスのイピゲネイア』です。

監督自身はインタビューでこう述べています。

必ずしもそこからインスピレーションを得たわけじゃない。でも脚本を書いている時にギリシャ悲劇と似ている部分があることには気がついた。面白いアイディアだと思ったよ。でも、ギリシャ悲劇を映画化しようとして始めたわけじゃないんだ。(『聖なる鹿殺し』日本版公式パンフレット13頁)

 

とはいえ、やはり劇中には古代ギリシア悲劇を感じさせる箇所がいくつかありましたので、今回記事を書くことにしました。ストーリーの謎より、どのあたりが悲劇に近いかを解いていくことになります。本当に『アウリスのイピゲネイア』に似ているのか?とか。

※この先ネタバレを多分に含みますので、未鑑賞でこれから観る予定のある方は閲覧を控えることをお勧めします。

 

 

ある程度ストーリーを書いておかないと話がわからないと思うので、完全にネタバレになりますがおおまかな展開を書いておきます。

・スティーブンは過去にマーティンの父親の執刀医だったが、その時彼が酒に酔っていたことから手術は失敗し、マーティンの父親は死んでしまう。

・スティーブンはそのことで負い目を感じ、マーティンに対し時計を買ってやるなど面倒を見ていた。やがてマーティンを家に招待し、家族にも紹介する。

・マーティンが家に来た後、スティーブンの息子ボブが突如歩行できなくなる。様々な検査をするものの、原因不明。

・ボブが突然歩けなくなったことに関し、マーティンはその後の展開を「予言」する。手足の麻痺の次は食欲の減退、やがて眼から血を流すようになったら数時間後に死ぬ。スティーブンが家族の誰かを殺さないと、家族全員がこの病気で死ぬことになるが、スティーブン自身にこの災いは降りかからない。

・やがて症状が娘のキムにも出始める。スティーブンはマーティンを拉致監禁して災いを止めるよう言うも、効果なし。

・ボブの眼から血が流れだし、スティーブンはロシアンルーレット方式で家族をひとり殺すことにする。結果、猟銃で撃たれたのはボブだった。

 

『アウリスのイピゲネイア』との関係について、公式パンフの解説はこうなっています。

ギリシャ悲劇。ギリシャ軍総大将のアガメムノンは娘イピゲネイアを女神アルテミスの怒りをしずめるため生贄として捧げる。しかし最期の祭壇の上で娘は鹿と入れ替わった(別の説もあり)。またイピゲネイアは女神アルテミスの分身またはアルテミスと同一視された女神と考えられている。つまり、本作で怒れる女神アルテミスはスティーブン、イピゲネイアがキムで、鹿はボブと読み取れる。(15頁)

えー、原文ママです。最後の一文はスティーブンをマーティンに変えればまぁ正しいと言えるでしょう。スティーブンはアガメムノンの立ち位置。

『アウリス~』のアガメムノンは、娘イピゲネイアを生贄にするかどうかでかなり悩みます。そして最後には振り切れたように娘を捧げることを決めます。まぁ実際捧げたのは鹿なんですが。スティーブンはキムに照準を定めたわけではありませんが、家族を殺す決心をしたという点ではアガメムノンと共通します。

キムはマーティンと、恋仲とまではいかないまでもやや特別な関係になるので、最終的にアルテミスの巫女となって寵愛を受けるイピゲネイア。ちなみにキムは学校でこの悲劇について作文を書いて良い成績を修めたと言及されます。

ボブは最後に犠牲になったという点で鹿。ですが、その点でしかそう言えません。

 

映画ライターの高橋諭治氏の意見は以下のとおり。

つまり手術中の過失によって患者を死に追いやったスティーブンは”聖なる鹿殺し”のアガメムノーンであり、彼に家族のひとりを殺せと脅迫する少年マーティンはアルテミスの役回りということか。なるほどという気もするが、狐につままれた気分にもさせられる。『聖なる鹿殺し』と「アウリスのイピゲネイア」には確かに共通点があるが、結末も含めてかなり違っているし、この映画を”現代のギリシャ悲劇”なのだとは言い切るのは躊躇したくなる。(16頁)

 

 

さて、この作品でギリシア悲劇っぽい要素といえば、

①超自然的な力によって災いがもたらされていること

②”目には目を”の原理に基づく復讐がなされていること

③”正義”がキーワードになっていること

の三点だと思います。

 

①どういう存在や力がスティーブン一家に災いをもたらしたかということは劇中一切語られずに終わります。呪いのホストであろうマーティンも、症状の予言をしたり何か意味深なことを言ったりするほかは特に何も説明しません。彼が何らかの魔術めいた力を使っているのか、それとももっと大いなる存在(それこそ神のような)が働いているのか、はっきりとした答えは出されないままなのです。

とはいえ超自然的な力が働いているのは間違いないのです。医者たちがよってたかっても解明できない力が。人間には説明できない災いというのは、ギリシア悲劇や神話でよく見られるものです。

 

②父親を殺されたマーティンがスティーブン一家を崩壊に向かわせる。これはマーティンによる復讐です。アルテミスが鹿の代りにイピゲネイアを求めたように、マーティンはスティーブンの家族という犠牲を求めます。

犠牲に犠牲を、復讐に復讐を。

③マーティンは劇中しきりに「正義」というワードを持ち出します。復讐を達成することがマーティンにとっての正義なのです。それが正しいかどうかは置いといて。

 

②③から私が感じ取ったギリシア悲劇は、『アウリス~』ではなく、別の悲劇作家アイスキュロスによるオレステイア三部作――『アガメムノン』『供養する女たち』『エウメニデス』――でした。

物語の時系列は『アウリス~』よりだいぶ後ですが、同じくアガメムノンをめぐる出来事が元になっています。

トロイア戦争終戦後、ミュケナイの屋敷へ戻ったアガメムノン。しかし帰宅した直後、アガメムノンは妻クリュタイメストラに殺されます。彼女は娘イピゲネイアを犠牲に捧げた夫をずっと恨んでいたのです。

しかしクリュタイメストラは息子オレステスに殺されます。オレステスオレステスで、わけもわからず父を奪われたことを恨んでいたのでした。

その親殺しを復讐の女神たちに責められるオレステスでしたが、神々も列席する裁判で、多数決でその罪を赦されました。

 

オレステイア三部作では復讐が連鎖します。そして復讐する側はそれが正義だと主張し、複数の「正義」がぶつかり合います。

『聖なる鹿殺し』で為される復讐、主張される正義はひとつだけですが、オレステイア三部作こそがこの映画の底にあるギリシア悲劇なのではないかと私は考えました。

自身が正義だと考える復讐を達成しようとするマーティンはオレステスなのでは。(マーティンは16歳だから、年齢もオレステスに近いかもしれない)

 

監督自身の言葉があれですし、劇中で解明されていないことも多いので断言はできませんが、私の解答はこれで。