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西洋古典学って、ご存知ですか?

【Ibis】推しを語る #9

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eureka-merl.hatenablog.com

 

「推しを語る」第9回は、邦訳未出版の誹謗詩『イービス』についてです。

めっちゃ面白いから早く日本語でも読めるようになってほしい(他力本願)

この644行の詩が書かれたのは、『悲しみの歌』執筆途中の紀元後10~12年と考えられています。11年前後のいつか。

ふたつの書簡詩がオウィディウスの悲しみを題材としているのに対し、『イービス』で綴られるのは憎悪と呪詛です。

今回の目次は以下のとおり。ちょっとでもこの作品の面白さが伝わりますように……!!!

 

Ⅰ.カリマコスの『イービス』

Ⅱ.イービスとは何者か

Ⅲ.悪口が止まらない

Ⅳ.全ての「神」が俺の味方!

 

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【Tristia】推しを語る #8

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 「推しを語る」第8回です。ここから先は詩作第三期――ローマを追われ、トミスに滞在していた時期のお話です。オウィディウスはこの時期に三つの作品を残しました。

今日取り上げる作品はそのうちの一つ、『悲しみの歌(Tristia)』です。

日本語訳は京大出版から、別の記事で扱う『黒海からの手紙(Ex Ponto)』とセットで出版されています。 

 

 オウィディウスの追放後の作品については私もまだまだ勉強中なのですが、この時期の作品はオウィディウスの作品が好きなひとではなくオウィディウス本人が好きなひとに刺さるものだと思います。

 そのへんの私の所感は残り三回で小出しにするとして、まず今回は『悲しみの歌』について以下の見出しを掲げてお話していきます。

Ⅰ.彼は何故トミスへ送られたのか

Ⅱ.「遊ぶひと」から「嘆くひと」へ

 1.執筆時期

 2.内容とかつての評価

 3.恋愛詩人時代との比較

Ⅲ.エレゲイアを選んだわけ

 

 

 【彼は何故トミスへ送られたのか】

 紀元後8年にオウィディウスは突如トミス(現在の都市名はコンスタンツァ、国はルーマニア)への流刑に処されます。その原因を詩人は次のように分析しました。

  perdiderint cum me duo crimina, carmen et error,
    alterius facti culpa silenda milli.  (Ov. Tr. 2.207-208)
  二つの罪、詩歌と過誤が私を滅ぼしたのだが、
    片方の行いの咎については沈黙すべきだろう。

「二つの罪」のうち「詩歌」が指すのは『恋の技法』です。まぁたしかに風紀を正したいアウグストゥス帝からすれば、恋の遊戯を扇動するようなあの作品はちょっといただけなかったと見るのは自然でしょう。でも出版されてずいぶん(10年くらい?)経ってからの処罰ですから、これを理由にするのはちょっと説得力に欠けます。

 一方、より直接の原因となったであろう「過誤」が何を指すかは明らかになっていません。皇帝の娘ユリアとの不適切な関係があったとか、イシスの神域を侵したとか、皇帝の妃リウィアの入浴シーンを覗き見したとか、他にも説はいろいろあります。でも所詮は噂にすぎません。

 あるいは、皇帝が綱紀粛正――風紀の乱れをより厳しく取り締まることを世にアピールするために、当時大人気だった恋の詩人オウィディウススケープゴートに仕立てたという見方もあるようです。恋愛の象徴的人物と化していたこの詩人を罰するのが主目的で、彼のしたことはさほど重要でなかったとも。

 このように何やかんやと考えられますが、オウィディウス本人が「沈黙すべき」と言っている以上、本当の理由はこれからも謎のままでしょうし、暴こうとしない方が彼のためかもしれません。

 

【「遊ぶひと」から「嘆くひと」へ――『悲しみの歌』内容と評価】

1.執筆時期

 そうしてオウィディウスはトミスへ向かいました。紀元8年の暮れのことです。

 この船旅の途中から書き始められたのが『悲しみの歌』という作品です。トミス到着後、紀元9年に一巻の原稿はローマへ送られ、二巻も同じく9年の成立、三巻は10年、四巻は11年、最終巻は11年から12年にかけての冬に送られたと考えられています。

 

2.内容とかつての評価

 『悲しみの歌』の題材になっているのは、タイトルどおりですが、オウィディウスの悲しみです。ただし、「悲しみ」というのはとても大雑把なくくりです。この詩集で描かれるのは、家族や友人のいるローマを離れる悲しさのみならず、自分を陥れようとした人物への憎しみや怒り、蛮族の地にひとり取り残された不安、そして詩人としてなくてはならないラテン語を失う恐れ、といったさまざまな負の感情です。

 いろいろなことが書かれてはいるのですが、基本的にはこれらの詩を通じて皇帝の気が変わってくれたらいいな~という願望がうっすら見えてきます。かつて『恋の技法』や『変身物語』に現われていた自信家の彼はどこへやら。

 そのためか、追放後の作品に向けられた評価は「卑屈なこびへつらい」「臆病なごますりの言葉」「主題の単調さ」「威厳や不屈の精神の欠如」と、まぁそこまで言いますかいなと思うほどさんざんなものもあったようです。

 他方、この詩集には伝記的な価値が見出されてきました。これほどまでに自分語りをしてくれる詩人なんてそうそういませんからね。特に『悲しみの歌』があったおかげでさまざまなことがわかります。

 生年月日や家族構成、詩人になる前に経験した職業、結婚と離婚の経験、友人関係。どんな詩人がローマにいて、誰と交流があったか。そしてローマ最後の夜をどのように過ごしたか、どういう経路でトミスへ向かったか、トミスという土地の自然環境や居住する人々の様子。このようなことを全て彼自身の手で書き残してくれました。

 それではそのような情報を与えてくれる以外に、つまり史料としてではなく文学作品としての価値はこの詩集にはないのかといえば、そんなことは決してありません。

 

3.恋愛詩人時代との比較

 民衆が愛した恋愛詩人の詩才は、皇帝への嘆願に終始した結果消え失せてしまったのか? その疑問を解くにはやはりかつての作品と比較するのがいちばんです。まずは『恋の歌』と『悲しみの歌』の出だしを比較してみましょう。

 
Arma gravi numero violentaque bella parabam
     Edere, materia conveniente modis.
Par erat inferior versus: risisse Cupido
     Dicitur atque unum surripuisse pedem. (Ov. Am. 1.1-4)

私は重い韻律で武器と荒々しい戦争を歌う準備をしていた、
  形式と題材が合うように。
下の行も同じ長さだった。クピードーが笑って
  足をひとつ持ち去ったらしいんだ。


Parve—nec invideo—sine me, liber, ibis in urbem,
  ei mihi, quod domino non licet ire tuo!
vade, sed incultus, qualem decet exulis esse
  infelix habitum temporis huius habe.  (Ov. Tr. 1.1-4)

小さな本よ、羨ましいなんて言わない、私なしで都へお行き。
  ああなんと、お前の主人はそこへ行くことを許されないなんて!
お行きなさい、でも飾らずに、流刑者のような姿で。
  かわいそうなお前は、今この時の私の姿をとるのだよ。

 

何といってもこの空気感の違いですよ。『恋の歌』での詩人は意気揚々と「ほんとは叙事詩書くつもりだったんだけどさ~」なんて軽口を叩きつつ、恋人とのあれこれを書いていました。それが今じゃこんなに悲壮感をまとわせている。まさに恋と神話で「遊ぶひと(homo ludens)」から、己の現実を「嘆くひと(homo lugens)」へ一気に方向転換したわけです。

 かつてのへらへらしたオウィディウスこそが至高と考えれば、追放後の作品に登場する彼には幻滅してしまうかもしれません。しかし、毎日嘆くばかりでも、彼の詩才は健在です。かつてと違うのは題材だけ、と言ってもいいでしょう。

 例えば、『恋の技法』などでもお馴染みのカタロゴス的な神話の引用は『悲しみの歌』にも存在します。また、カリマコス以来続く「詩作を水と水路に喩える」という文学的伝統も変わらず見られます。

 

ingenium fregere meum mala, cujus et ante
  fons infecundus parvaque vena fuit.
sed quaecumque fuit, nullo exercente refugit,
  et longo periit arida facta situ.    (Ov. Tr. 3.14.33-36)

不幸が私の才能を壊したが、その水源は以前も
  豊かではなく、水脈は細かった。
しかしそれがどうあれ、 誰も使わなければ後退し、
  長きに渡る渇きで干上がってなくなってしまう。

 

 また、作品の構成を考える余裕も残っています。余裕があるというか、天性の詩人だから勝手に手や頭がそう働いたのかもしれません。

 『恋の歌』は全三巻で、第一巻が15篇、第二巻が19篇、第三巻が15篇の詩から成っています。数字を見ればわかるとおり、収められている詩の数がシンメトリになっています。もともと『恋の歌』は五巻構成で、後に編纂し直したという詩人の言葉もあるので、このシンメトリ構造は偶然ではありません。

 では『悲しみの歌』はどうかというと、第三巻が14篇、第四巻が10篇、第五巻が14篇の詩から成っており、『恋の歌』と同じように、巻を超えた数のシンメトリ構造が見られます。さらに、第二巻は長いひとつの詩でできているので例外ですが、『悲しみの歌』は個々の巻の中でも内容面でシンメトリが出来上がっていると考えられています。これもまた偶然ではありません。各詩篇は書かれた順に並んでいるわけではなく、オウィディウスが意図的に配置しなおしているのです。

 

【エレゲイアを選んだわけ】

 最後に韻律について。この作品はエレゲイアで書かれています。オウィディウス的には「いつものやつ」と言ってもいいでしょうか。

 『悲しみの歌』は『名高い女たちの手紙』以来の書簡詩です。Heroidesは恋愛エレゲイア詩の流れを汲む書簡詩だったから韻律もエレゲイアを選んだと考えられます。では今回はどうかといえば、おそらくエレゲイアの語源をもとにした選択でしょう。

 エレゲイアを語源とする英単語にelegyというのがありますが、これを辞書で引くと「哀歌、挽歌」という意味が出てきます。この解釈は古くヘレニズム期にさかのぼり、エレゲイアというギリシャ語は「エ・エ・レゲイン」、つまり「(悲しみで)ああ、と言う」ことに由来すると考えられていました。

 もっと昔のエレゲイア詩は哀悼に限らずさまざまなテーマを歌っているので、この解釈は誤りなのですが、少なくともオウィディウスはエレゲイアの起源は哀悼歌だと信じていたようです。『恋の歌』の中にあるティブッルスを悼む詩の冒頭で、オウィディウスはこのように言っています。

 

flebilis indignos, Elegia, solve capillos:
a, nimis ex vero nunc tibi nomen erit.    (Ov. Am. 3.9.3-4)

悲しみつつも、エレゲイアよ、ふさわしくない髪を解け。
ああ、いまあなたの名はあまりにも真実を語るだろう。

 

そして、オウィディウスは『悲しみの歌』でたびたび追放された自分を死者に喩えています。これらの事実を踏まえると、オウィディウスが追放後の作品のためにエレゲイアという韻律を選んだのは、この詩集を自身の哀悼歌にするためという意図があったんじゃないかと考えられます。

 

*****

 

書きたいだけ書いたら思いのほかボリューミーになってしまいましたごめんなさい。

さて、次回は『悲しみの歌』と並行して書かれていたと思われる『イービス』についてです。追放後のオウィディウスは嘆くばかりではありませんでした。天才詩人を怒らせるとどんな言葉が飛び出るのか。オウィディウス先生渾身の誹謗詩にご期待ください!

【Fasti】推しを語る #7

前回の記事はこちらからどうぞ 

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「推しを語る」第7回は『祭暦(Fasti)』についてです。

 日本語訳は出版されていますが、なかなか普通の書店じゃ見つけられませんね…。

 

『祭暦(Fasti)』はローマの縁起物語集です。一巻につき一ヶ月分の祭儀や暦に関するエピソードがカレンダー順に入っており、全六巻あります。(おや?)

『変身物語』とほぼ同じ時期(詩作第二期)に書かれた作品であり、形式も内容もかの叙事詩と似通った、あるいは対照的な特徴が見られます。

なので今回は(プルタルコスの『対比列伝』ではありませんが)『変身物語』との比較を交えながら『祭暦』について語っていきます。

 

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