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西洋古典学って、ご存知ですか?

プラド美術館展@国立西洋美術館

国立西洋美術館での展示期間は終了して、今は兵庫県立美術館で開催されているプラド美術館展―ベラスケスと絵画の栄光―」

開館時間やチケットの料金など、詳しいことはこちらから美術館の特設ページをご覧ください。

絵画は7章構成になっており、第3章が「神話」と題されています。今回はこの第3章の絵をメインに解説していきますが、古典の民に関係ある絵画は他の章にも散っているので、そちらもあわせて紹介します。

プラド美術館の公式ホームページ(英語版)のコレクション掲載ページへのリンクをそれぞれに付けますので、図版はそちらでご覧になってください。もっとちゃんとした解説も載ってます!!

 

※展覧会には事前情報なしで行きたい!ネタバレやめて!という方はこの先読まないでください(>_<)

 

 

第2章「知識」

ディエゴ・ベラスケスメニッポス

今回の展覧会の目玉画家とでも言うべきベラスケスの作品。姉妹作品として《アイソーポス》があります。アイソーポスはいわゆるイソップ寓話の作者です。メニッポスについては、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』の中に記載があります(6巻8章)。あまり良いようには書かれていませんし、けっこう短いです。

ベラスケスの作品ですが、アイソーポスとメニッポスの体格は「ルーベンス的」で、奴隷であった二人の服装は当時のスペインの物乞いファッションとのことです。しかし姿勢と服の着方は対称的です。

アイソーポスは服を着崩しており、気難しげな顔をして、正面を向いています。この隠し立てのない態度は、アイソーポスが求めた自由を象徴しているそうです。

一方メニッポスは外套まで着て、身を守るかのように後ろを向いて、微笑みながら目の端で鑑賞者を捉えているように描かれています。メニッポスの金銭への執着を表しているそうです。

この対比は、後述する《泣く哲学者ヘラクレイトス》および《笑う哲学者デモクリトス》という対作品を意識したものらしく(だから体格が「ルーベンス的」)、こちらを警戒するようなメニッポスはヘラクレイトスの涙に、開けっ広げなアイソーポスはデモクリトスの笑いに通じています。

 

ペーテル・パウルルーベンスの工房泣く哲学者ヘラクレイトス

ヘラクレイトスが未来を悲観して大粒の涙をこぼす者として描かれているのは、その厭世的な性格と難解すぎる思想ゆえに「泣く哲学者」と呼ばれたことからです。

姉妹作品として《笑う哲学者デモクリトス》があります。黒い服を着て涙を流すヘラクレイトスは人生の悲劇的要素を、赤い服を着てほくそ笑むデモクリトスは喜劇的要素を象徴しているということです。

対称的な性格の二人ですが、特に死に際が印象に残ったのでここにも記しておきます。

ヘラクレイトスは水腫症に罹るも、人間嫌いをこじらせていたために医者の診察を拒否。牛舎にこもって孤独に死んでいったそうです。享年60。

いっぽうデモクリトスはテスモポリア祭の期間中に死を迎えそうになるも、焼きたてのパンの匂いを嗅ぐことで持ちこたえ、祭が終わってから苦しむことなく死んだそうです。100歳を超えての大往生を遂げ、国費で埋葬されたとのこと。

この二人の学説の内容、および人柄や生き様については、メニッポスと同様に『ギリシア哲学者列伝』に書かれています。二人とも9巻で、ヘラクレイトスは1章、デモクリトスは7章。

 

ジュゼペ・デ・リベーラヘラクレイトス

こちらのヘラクレイトスも、よく見ると涙を流しています。ヘラクレイトスを描く上でのきまりごとになっていたのでしょう。

 

ヤン・ブリューゲル(父)、ヘンドリク・ファン・バーレン、ヘラルト・セーヘルスら視覚と嗅覚

かつて博物学が流行して作られた、いわゆる「驚異の部屋」を描いたものです。関連作品として同じくヤン・ブリューゲルの「味覚、聴覚と触覚」があります。いずれも人間の五感を女性として擬人化したものです。視覚を表す女性は鏡で自分の顔を眺めており、嗅覚を表す女性は花を手に取ってその薫りを嗅いでいるように見えます。

この絵の中にも神話画が隠れています。探してみると楽しいかもしれません。

 

 

第3章「神話」

ディエゴ・ベラスケスマルス

ギリシア神話のアレスは野蛮な嫌われ者でしたが、ローマ神話マルスはむしろ勇敢な戦士として主神並みの扱いを受けていました。軍神という点では変わらずとも、ギリシアとローマは似て非なるものだとわかる一例。

兜を被っていることと床に他の武具が散らかっていることからマルスだとわかりますが、この絵のマルスは憂鬱な表情、気だるげな姿勢。

これはウェルギリウスの『牧歌』10歌69行にある「愛は全てを打ち負かす(omnia vincit Amor)」という一節が関係しているようです。マルスが腰かけているベッドも、よく見たらかなり上等。兵士が陣営で使う簡易的なものではありません。

つまり、別の意味で一戦交えた後なのかもしれない、ってことです。

 

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ音楽にくつろぐヴィーナス

この絵はベルリン、ニューヨーク、ケンブリッジにも存在するようで、それぞれ描かれているものが少し違うようです。

プラド美術館のものはオルガン奏者がいて、ヴィーナスは犬を撫でています。ものによってはオルガンではなくリュートだったり、犬ではなくキューピッドだったりするようです。

 

ルカ・カンビアーゾに帰属ルクレティアの死

ルクレティアはこの章で描かれている他のキャラクターほど「神話」の人物とは言い切れません。神話と歴史の中間にいる人物と言えるでしょう。

ルクレティアの逸話はリウィウスの『ローマ建国史』1巻57-59章に書かれています。

ロムルスがローマを建国した後6人の国王が国を統治しますが、最後のひとりはルクレティアを凌辱した犯人です。この事件を機にローマは共和制へと統治体制が変わります。一方ルクレティアは不貞の事実(もちろん彼女は何も悪くない)を抹消すべく、自ら命を絶つことで貞女の究極を示したのでした。

 

ペーテル・パウルルーベンス、ヤーコブ・ヨルダーンスアンドロメダを救うペルセウス

ペルセウスの神話はホメロスの時代からある有名なものです。

ペルセウスの頭上には、羽の生えた愛の神クピードーと、松明を持った結婚の女神ヒュメーンがいます。クピードーはペルセウスアンドロメダに恋していることを、ヒュメーンはこの後ふたりが結婚することを表しています。

そしてペルセウスの足元から後方に見える海岸をよく見ると、討伐対象であった怪物ケートスと、ペルセウスの相棒ペガソスが見えます。

この絵はルーベンスの遺作のひとつであり、1640年の彼の死後ヨルダーンスが仕上げたとのことです。

 

ルカ・ジョルダーノメドゥーサの首を持ち勝利を収めるペルセウス

ペルセウスがメドゥーサの首で石化させた人物はふたり(&その仲間たち)です。大勢の人々が逃げ惑う姿が描かれていることから、おそらく前者だろうと思います。

ひとりはアンドロメダの婚約者だったピネウス。婚約者が危機に瀕しても怯えて何もできなかった腰抜けです。なのにアンドロメダが無事に戻ってくると「ひとの嫁を取るなー!!」と言ってのける。仲間を引き連れてペルセウスを倒そうとするも、力及ばず石にされました。

もうひとりはセリポス島の領主だったポリュデクテス。セリポス島はペルセウスが育った土地ですが、ポリュデクテスはペルセウスの母ダナエにしつこくつきまとっていました。そしてメドゥーサ退治についても虚言だと嘲笑った結果、しっかりとその報いを受けたのです。

 

グレゴリオ・マルティネス鎖につながれたティテュオス

鎖につながれて腸を啄まれ続ける…といえばプロメテウスが先に思い浮かんできますが(あ、私だけですか?)、同じ罰を受けたのがこのティテュオスです。

この絵はミケランジェロのある彫刻から影響を受けて描かれており、ミケランジェロは1506年にローマで発見されたラオコーン像を見ていたとのことです。

後景ではローマの廃墟が燃え盛っています。

 

ヴィセンテ・カルドゥーチョに帰属《巨大な男性頭部

これだけ見ると「神話?」と感じられますが、どうも巨人族の頭という設定らしいです。

巨人といえば粗野で原始的な存在、そして怪力を持つ恐ろしいヤツ、というのが古代世界における一般的なイメージですが、この絵だときりっとしたイケメン風ですね…。

 

 

第4章「宮廷」

フランシスコ・デ・スルバランヘラクレスとクレタの牡牛

フランシスコ・デ・スルバランヘラクレスとレルネのヒュドラ

スルバランがヘラクレスを主題として描いたものは10点あり、全てプラド美術館に収められています。今回は12の難業から2つ、クレタの牡牛退治とヒュドラ退治の絵が来日しました。

ヒュドラ退治の方は、ヘラクレスの足元をよく見ると蟹…いや蠍?…がいるんです。ミッション達成を阻止しようとしたヘラ女神が送り込んだやつです。すぐ踏みつぶされるけど。

スルバランのヘラクレスシリーズはフィリップ4世の別荘に飾るべく依頼されたものらしいです。ヘラクレスがスペイン君主制創始者であるとみなされていたからであり、英雄の難業は王として身に付けておくべきさまざまな美徳を表すものでした。

 

ジョヴァンニ・ランフランコローマ皇帝のために生贄を捧げる神官

葉冠をいただく皇帝、白いフード付の装束をまとっている神官、犠牲に捧げるための牡羊を取り押さえるたくましい男ふたり…などなど。一般的な犠牲式の光景と言えるでしょう。

ランフランコ古代ローマの生活・風俗を切り取ったような絵をたくさん描いています。それらもまた、スルバランのヘラクレスシリーズと同様に、宮廷を飾るために依頼されたものでした。依頼人は当時スペインの属州だったナポリの総督。マドリード郊外にあった彼の別荘を、ランフランコ風の古代ローマの世界が彩ったそうな。

 

第5章「風景」

フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソローマのティトゥス帝の凱旋門

ティトゥス帝がエルサレムを攻略したことを記念して、弟であり次代皇帝であるドミティアヌス帝が建設した凱旋門とのことです。

エルサレム攻略については、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』第8巻、ティトゥス帝の章の5節に記録されています。

ただし、ドミティアヌスは兄のことを好いていなかったようで、同じく『ローマ皇帝伝』のドミティアヌスの章2節には、彼が今際の、そして死後の兄に対してどのような態度を取ったかが書かれています。