Εὕρηκα!

西洋古典学って、ご存知ですか?

Jアイドル×ギリシャ哲学!?「人生、すなわちパンタ・レイ」

現代日本が誇るサブカルチャー、アイドル。

いまは様々なアイドルグループが乱立するアイドル戦国時代。その中でも前線で活躍し続けている勢力がハロプロことハロー!プロジェクトです。

先日、ハロプロ内のアイドルグループ「アンジュルム」が、CD三枚組のアルバムをリリースしました。

↓これ

 

収録されていた新曲のひとつが

人生すなわちパンタ・レイ

 まさかアイドルの曲に古典ギリシャ語が出てくるなんてな!

 

パンタ・レイは「万物は流転する」という意味。

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの思想を一言で表した有名なフレーズです。

 

作詞作曲は、もはやアイドル業界ではすっかりおなじみの前山田健一さん。

ライナーノーツがあるか調べてみたところ、歌詞については公式ブログでこのように書いていました。

歌詞も「万物は流転する」という哲学的なものですが 

結果こしあんつぶあんか、みたいな歌詞です。

ちなみに僕はこしあん派です。

 

たしかに曲の内容はヘラクレイトスの思想とは違って単純で、

「わたし」は髪切ったり歳取ったり変化していくけどハートは変わんないっしょ?という歌になっています。

 

この記事では、「人生、すなわちパンタ・レイ」で使われているヘラクレイトスの言葉について解説していきます。

できるだけ簡単に。言い換えれば、私の理解の追いつく範囲で。

箇所で言うと①タイトル、②冒頭ナレーション、③ラスサビ直前…です。

 

 

①タイトル「人生、すなわちパンタ・レイ

ヘラクレイトスについては以前こちらの記事で少し触れましたが、
eureka-merl.hatenablog.com

厭世的な性格と難解な著述から付いたあだ名が「泣く哲学者」。著書『自然について』は残存しておらず、引用の形で断片が残っているのみです。

ヘラクレイトスといえば、まずはこの曲にも現れている「万物は流転する」という思想です。

が、実は「パンタ・レイ」という言葉はヘラクレイトスの断片の中にはありません。現在まで残らなかっただけか、後世の創作と考えられます。

 

一方プラトンは著作『クラテュロス』(副題は「名前の正しさについて」)の結論部にあたる440Cで「万物(パンタ)は泥のように流れる(レイ)」という表現を用いています。もっとも、この対話篇はヘラクレイトスの思想に大いに影響されていますので、ヘラクレイトス自身も著作のどこかで実際に使った言い回しかもしれません。

また、中間部の402Aでプラトンは「万物は過ぎ去り、何物も留まらない」というヘラクレイトスの発言を引用しています。「万物は過ぎ去り」はギリシャ語で「パンタ・コーレイ」と書かれています。惜しい。

 

 

②冒頭ナレーション「魂にとって…

さて、古代ギリシャの哲学者が主に論じていた問題のひとつに「アルケー(万物の根源)は何か」があります。

ヘラクレイトスは、アルケーは火だと考えていました。彼の学説は、3世紀の哲学史ディオゲネス・ラエルティオスが『ギリシャ哲学者列伝』でまとめてくれています。

それをさらに箇条書きでまとめるとこんな感じです。

 

アルケーは火であり、万物は一定の周期で火から生まれ、火に帰る

・火が凝縮されると水になり、水が凝固すると土になる。

・万物は魂とダイモーンとで満ちている 

 

 

これを踏まえて、冒頭の一節を見てみます。

魂にとって、水となることは死である。

また水にとって、土となることは死である。

しかし土からは水が生じ、水からは魂が生ずる。

 

……どうでしょうか。何かわかるような、わからないような。 

ちなみに、この一節はヘラクレイトスの断片のひとつであり、「アレクサンドリアのクレメンス」という人物の著作『ストロマテイス』(6.2.17.2)に載っています。

アレクサンドリアのクレメンスは2世紀にエジプトで活躍したキリスト教神学者のひとりです。『ストロマテイス』というタイトルは、日本語訳すると『雑録』です。

 

 

③ラスサビ前のBメロ

嗚呼 ゆく河 流れは絶えないけど

おんなじ 水ではないの 

という歌詞から多くの人が思い浮かべるのは、鴨長明方丈記』の冒頭

――ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず――

であり、おそらく前山田氏もこれを踏まえていると思います。

日本文学版パンタ・レイ、ですね。鴨長明が基にしたのは仏教用語の「諸行無常」でしょうけれど。

 

万物流転を河で例えるというのは、ヘラクレイトスもやっています。

先述した『クラテュロス』402A「万物は過ぎ去り、何物も留まらない」には続きがあり、ヘラクレイトスは「同じ河に二度入ることはできない」とも言っていたそうです。

 

時代も場所も違うふたりが似た例えを用いているのは、なかなか面白いものです。

 

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単純なメッセ―ジの曲でありながら、いろいろ考えてかなり聴きこんでしまいました。

ヲタクの皆さんにはヘラクレイトスについてもっと調べてみてほしいし、古典学関係者にはこの曲を聴いてみてほしいです。ぜひ!

ちなみに私はつぶあん派です。