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西洋古典学って、ご存知ですか?

バッコスの信女たち@あいちトリエンナーレ

『縛られたプロメテウス』と同様、ギリシャ悲劇をベースにしていて、今年のあいちトリエンナーレを締めくくる日程で上演されたのが『バッカイ』です。

演出は劇団Qの主宰である市原佐都子氏により、正確なタイトルは『バッコスの信女たちーホルスタインの雌』。

『縛られたプロメテウス』といい、私の知っている悲劇と宣材写真とのギャップが大きくて、直前まで、いったい何を観ることになるんだという気持ち、不安と楽しみがないまぜになっていました。

そしてプロメテウスにはこんなものを見せられたわけですが、
eureka-merl.hatenablog.com

バッカイは、本当に、正統派ギリシャ悲劇でした。私の心にはカタルシスも到来しました。何だろう、当時のギリシャ人はこんなにすごい体験ができたの??しかも日当貰って??って気持ち。

 

そして後日エウリピデスによる原作を読み直した時の衝撃たるや。

そういうわけなので、この感動を共有させてください。

 

以下、エウリピデス版を「本家」、今回観たものを「Q版」と呼びます。

(エログロ表現わりとあるけど古典に親しんだみんななら耐性あるよね!!!!??というつもりで書いていきます)

 

まず大道具のことから話すと、芸文小ホールにはマンションの一室が再現されていました。キッチンと、ダイニングテーブルと、ソファ。

ダイニングテーブルの上には異様な存在感を放つコーンフレーク。

上方にはもろもろの文字情報(主に海外からの来場者向けの英語字幕)を映すためのスクリーンがありました。

  

そして登場人物の確認ですが、本家は

ディオニュソス

・カドモス

・テイレシアス

・ペンテウス

・ペンテウスの家来

・伝令①(牧人)

・伝令②(ペンテウスの従者)

・アガウエ

・コロス(バッコスの信女たち)

一方、Q版は

・主婦:兵藤公美さん

・飼い犬(パピヨン):永山由里恵さん

・謎の女?(ホルスタインの雌):川村美紀子さん

・バスで隣に座った人:?

ハプニングバーで出くわした女:永山絢音さん

・コロス(牛の霊):12人の女性

 

Q版のプロロゴスは「うちね、今日焼肉の日なんです」という台詞から始まります。

そこから与えられる情報量が非常に多いのですが、これらが作品中で全て回収されます。

・今日は月イチの焼肉の日で、肉を食べる喜びを味わうためにふだんは菜食ベースにしていること

ベジタリアンではない、肉を食べないともろもろの元気が出ない

ケロッグ博士が性欲減退、殊に自慰行為防止のためにコーンフレークを開発したこと

・家畜人工受精師の仕事をしていたこと、またその仕事内容

・あるとき結婚を考えて、出逢いを求めハプニングバーに通っていたが、そこで女性と体を重ねたのがあまりに気持ち良かったこと

・男性と体を重ねて子を宿すことに気持ち悪さを感じ、牛たちと同様精子を注入するのを思いついたこと

精子バンクで日本人男性の精子を買ったこと

 

パロドスでコロスが入場し、mo-mo-というボカリーズを奏でます。牛なので。ここで歌われたものがメインテーマで、エクソドスでも同じ歌が繰り返されます。

 

ここから先、エペイソディオンは六つあって、間にスタシモンが挟まる構成でした。スタシモンでは本当にコロスが歌う。これぞギリシャ生まれの劇。

しかし、切れ目やストーリーの前後が曖昧なのでとりあえず全部書きます。

 

本編はインターホンの音で始まりました。

主婦が通話に応じると、画面には自分の飼い犬を抱いた謎の女が。

「この犬、あなたの家のですか?」

「あーそうですそうです!今出ますねー」

そう言って女と飼い犬を出迎えた主婦。

やがて女は自分が山の上で送っている集団生活について語ります。女は「牧場」を経営しているそうです。肉食は避け、仲間同士で「バターマッサージ」なるものをするそうです。

主婦はその話を宗教勧誘と捉えました。本家の筋でいけば間違いじゃない。

 

女は主婦を「お母様」と呼んでいました。その違和感が頂点に達した時、女は着ていたトレンチコートを脱ぎました。現れたのはいきり立つ男性器(のようなもの)。

実は、主婦は自分に子を宿す目的で買った人間の精子を、ある雌牛に注入したのでした。産まれたのが彼女、人間の女の顔と牛の雄の体を持つハイブリッドだったのです。

 

このへんでコロスが歌ってた「メイドバイジャパニーズナショナル精子」というフレーズがメロディー含め忘れられない…

スクリーンにもこの文言が投影されていて、しかも一時期流行った「5000兆円欲しい」みたいな勢いのフォントやったからめっちゃ笑ったわ…

 

彼女が産まれた時のことを、主婦は思い出します。

産まれてしまったその子は、自分の胎から出たわけではないから、自分は母乳を出せず。乳牛の子どもたちと同様、粉ミルクで育てられました。

やがて成長したその子は、3歳になりました。人間の3歳はほんの未熟な子ども。しかし牛の3歳はもう成熟しきった大人。その生き物は、子どもの知能で大人の性欲を抑えられない。

主婦は成人雑誌で自慰の方法などを教えます。性器からは何度も何度も精液が放出され、それでも満足できない子どもは彼女に襲いかかります。

「エロ本に書かれたことを本当にやっちゃだめなの!!」って台詞、世の中の何かを勘違いした人たち全員に聞かせたい。

間一髪逃れた彼女は、その子を当時住んでいたアパートに置き去りにしたのでした。あまりの性欲が嫌になって、お清めの塩ならぬコーンフレークを振りかけたりしつつ。

 

主婦は自分の気の迷い、いや欲望で生まれたあの生き物を捨て、ハプニングバーに舞い戻りました。ここに来れば、かつて体を重ねた彼女とまた会えると思って。そうでなくても女性と交われば気持ちが晴れると思って。

しかしその時関係した女には「わたし女のひとに幻想を抱いていたみたいですぅ(要するに下手)」などと言われ、凹んだままハプバーを後にしました。

そしてふらふらと街を歩いている時に出会ったのが今の夫だそうです。口臭がキツイ以外は特に不満はないそうです。

 

一方のハイブリッドちゃん。食べ物を与えられなくなった彼女は、畳を食べて生き永らえました。そう、彼女の下半身は牛ですから、畳は草という食べ物なのです。

食べては排泄し、食べては排泄し。

やがて排泄物の臭いが外に漏れ、彼女は保護されました。

ただ、見た目が見た目なので、彼女は見世物や特殊風俗の世界へ入ることになったのです。彼女はその世界ではスターでした。あらゆる客にあらゆる欲求に応じることができました。

ちなみに本人の性自認は女性で、性的指向は同性愛と言っていました。

コロスがハイブリッドちゃんの周りでヲタ芸してたの、まさにディオニュソスとバッカイの関係が表れてて最高やった。

 

そこから紆余曲折あり、主婦は子どもを諦めて犬を飼い、ハイブリッドちゃんは「牧場」経営に至ったのですが、

とにもかくにもハイブリッドちゃんは「お母様」を「牧場」へ連れて行きたいのです。

主婦は相変わらず宗教勧誘だと思っているのですが、ハイブリッドちゃんの一言で180度意見を変えます。

「彼女もいますよ」

彼女とは、主婦がかつて体を重ね、その後もずっと存在を求めていたあの女性です。これを聞くと、主婦はあっさりと牧場行きを決めます。

この展開は本家の第三エペイソディオンに相当するものです。ディオニュソスが「よろしい」と言った途端、これまでバッカイを見に行くことを拒否していたペンテウスが、急に「見たい」と言い出すところ。『バッカイ』の中では転換点としてかなり重要な場面なので、これが再現されていたのはかなり鳥肌ものでした。

 

スタシモンの後、主婦は頭に男性器を模した何かを頭に付けて登場します。どうやらそれが牧場での正装らしいです。

そして本家と同様「ちょっとリボンが捻じれてるよ」みたいなやりとりがあり、主婦とハイブリッドちゃんは牧場へ向かいました。ついでにパピヨンもついていきました。

 

そして最後のエペイソディオンでパピヨンが走って戻ってきます。このパピヨンが、本家で云う伝令②の役割を果たします。 

パピヨンがかなり混乱状態で話しており、コロスからツッコミも入っていたのですが、要約すると「牧場で主婦がハイブリッドちゃんを殺した」そうです。

 

エクソドスの展開は本家とQ版とでかなり趣が異なっていました。

本家はアガウエがペンテウスの首を持ってきて、カドモスがそのことを嘆き、アガウエも正気に戻って国を出て行く…という、まさに悲劇的な終わり方をします。

が、Q版では、主婦がハイブリッドちゃんの男性器を持って舞台上に戻ってきます。これがペンテウスの首に相当するわけで。そして主婦はコロスから「牛のペニスを食べる地域もある(ただしかなり生臭いのできちんと処理をしなければならない)」と教わります。それを受けて主婦は「じゃあタレに浸け込んで焼いちゃおっかー」と、キッチンで準備を始めます。

コロスが歌う後ろで主婦とパピヨンが肉を焼き始めて終わり、という何とも言えない終わり方でした。役者さんたちが最後のお辞儀してるときにめっちゃお肉の焼ける匂いしてるの面白かった…。

 

そういうわけでトリエンナーレらしく、かなりいろんなテーマを内包した(かつ攻めた内容の)劇になっていました。

ジェンダーのこと(性自認性的指向)はもちろんですが、それに次いで主に問われていたのが「人間の欲望で動物の体をどうこうすることは正しいことか?」ということでしょうか。ビーガンの方々がよく主張していることでもありますよね。主婦はプロロゴスなどでそれに反論していたわけですが。

牛の妊娠を操ったり、母乳は人間側が搾取して、それを本来飲むはずの仔牛には粉ミルクを飲ませたり。また愛玩動物にするために犬の生殖機能を失わせたり。

あとハプバーで偶然居合わせた女と主婦が寝るシーンは、「自己顕示欲が誤った方向に進んでいないか?」という問いかけでもあったのかなぁと考えています。

粗筋ではしょりましたが、ハプバーのヤリ部屋には覗き窓が付いていて、他の客が性行為を覗き見できるそうです(全ての店舗がそうかはわかりませんが)。女は主婦との性行為より、覗き窓の向こうにいる男性客を意識しているようだったと主婦の注釈が入っていました。

 

とにかく、観る人によってかなり意見が分かれそうな内容だったのは確かです。あと、観た人から断片的な情報だけ聞いた人はかなり混乱したと思います(笑) 情報の伝達が混乱を生じさせるというのも、ひとつのアートになりえる気はしますが。

少しでも会場の雰囲気や劇の内容が伝わっていれば幸いです。