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西洋古典学って、ご存知ですか?

【Ibis】推しを語る #9

前回の記事はこちら 

eureka-merl.hatenablog.com

 

「推しを語る」第9回は、邦訳未出版の誹謗詩『イービス』についてです。

めっちゃ面白いから早く日本語でも読めるようになってほしい(他力本願)

この644行の詩が書かれたのは、『悲しみの歌』執筆途中の紀元後10~12年と考えられています。11年前後のいつか。

ふたつの書簡詩がオウィディウスの悲しみを題材としているのに対し、『イービス』で綴られるのは憎悪と呪詛です。

今回の目次は以下のとおり。ちょっとでもこの作品の面白さが伝わりますように……!!!

 

Ⅰ.カリマコスの『イービス』

Ⅱ.イービスとは何者か

Ⅲ.悪口が止まらない

Ⅳ.全ての「神」が俺の味方!

 

 

カリマコスの『イービス』】

 この作品はカリマコスが書いた『イービス』という誹謗詩をモデルとしています。残念ながらこの作品は完全に散逸してしまったのですが、わかっていることもあります。

  まず、カリマコスがこの詩で非難の的とした人物はロドスのアポロニオスだということ。叙事詩『アルゴナウティカ』の作者であり、アレクサンドリア図書館の館長も務めた人物です。カリマコスはアポロニオスに「イービス」という仮名を付けました。イービスとは鳥の名前です。トキ科の一種で、いろいろ検索していると、北アフリカに主に生息していたアフリカクロトキという品種に行き当たりました。

 イービスがこの品種だと仮定して話を進めると、この鳥は害獣などを食べてくれるということでエジプト人に重宝され、神殿でも飼われていた聖なる鳥でした。ヘロドトス(2.65)曰く、エジプトではイービスを(故意か否かは問わず)殺した者は死罪になったそうです。一方、ストラボンの記録(17.2)によると、逆に何でも食べてしまうがゆえに(たぶんごみなどを漁って)あたりを汚してしまうことから厄介がられてもいました。現代日本でいうカラスみたいな存在だったようです。カラスに置き換えれば、この「イービス」という呼び名にこめられた意味はなんとなく伝わってきますよね。

  もうひとつは韻律について。誹謗中傷や揶揄を詩にするとき、古代人はたいていイアンボスという韻律を用いました。短長短長、を繰り返す韻律です。しかし、カリマコスは自身の誹謗詩にエレゲイアを用いたそうです。オウィディウスが『イービス』をエレゲイアで紡いだのはこれに由来します。

 

nunc quo Battiades inimicum devovet Ibin,
    hoc ego devoveo teque tuosque modo.    (Ov. Ib. 55-56)
今わたしは、バットスの子孫(カリマコス)が敵対するイービスを呪ったやり方で、
 このやり方でお前とお前の仲間たちを呪ってやる。

 

もちろんオウィディウスは、この韻律が誹謗詩で使われてきたものではないことをわかっており、「たとえこの韻律で戦いを歌うことが常ではなくても(non soleant quamvis hoc pede bella geri: Ov. Ib. 46)」と言い添えています。

 まぁオウィディウスが韻律を裏切ることは初めてではないので、今更驚くことでもありませんね。『祭暦』とか『恋の技法』とか『変身物語』とか……。

 

 

【イービスとは何者か】

 オウィディウスが呪った「イービス」が何者であるかはわかっていません。オウィディウス本人は「私は今後いかなる場合でも名前を伏せておくつもりだ(nomen adhuc utcumque tacebo, Ov. Ib. 9)」と言っています。『悲しみの歌』でも自分の「過誤」について「沈黙」したオウィディウスでしたが、こうなると頑固です。あいつじゃないかと推測される人物は何人かいるようですが、きっとこれからも謎のままでしょう。 ただ、数少ない情報として、彼が北アフリカ出身であることと、詩人の財産を没収しようとしたことがわかっています。

 また、『悲しみの歌』の中にこの人物に宛てたと考えられる詩が三篇(3.11, 4.9, 5.8)あります。いずれにおいてもやはりイービス氏の名前と行為は伏せられていますが、オウィディウスの望みは明白です。皇帝の怒りが解け、オウィディウスが祖国へ帰り、反対にイービス氏が追放刑に処されること――オウィディウスはそれを望み、また実現の可能性を訴えています。さらに、4.9では「ピエリデス(=ムーサたち)が力と武器を与えてくれるだろう(Pierides vires et sua tela dabunt. Tr. 4.9.16)」「私が訴えることは世界中に知れ渡るだろう(quodque querar notum qua patet orbis erit. Tr.4.9.20)」と言っていることから、この時既に『イービス』の構想があった、あるいは書きはじめていたことがなんとなくわかります。

 

 

【悪口が止まらない】

 それでは『イービス』の内容をいくつかのセクションに分けてまとめてみます。 

 

導入 (1-66)

 オウィディウスは自身のこれまでの作品を振り返り、「戦い」に慣れていない自分が某氏に言葉という武器を向けねばならないと口にします。先述したとおり、相手の名前と行為は伏せていますが、「無慈悲な彼は……広場中で私の名前を言って回り( inmitis ... in toto nomina foro; 13-14)」という一節があります。

 31-40行はadynaton(ギリシャ語で「ありえないこと」)と言われる一節で、自然法則の歪みが歌われます。暖かい南風が北極から吹くとか、日の出と日の入りが同じ方角で起きるとか。これは古代の呪いや魔術の文言に必ず添えられるものです。

 そしてカリマコスのやり方に則って、某氏を「イービス」と呼び、彼に向けて誹謗詩を綴ることを宣言します。

 

神への呼びかけ (67-96)

 人が人を呪うためには神様の助けが必須です。ここでオウィディウスは大胆にも「古のカオスから我々の時代に至るまで、新旧全ての神々 ( ab antiquo divi veteresque novique in nostrum cuncti tempus ... chao, 83-84 )」を呼ぼうとします。その中には「神々の中では平民 ( plebs superum, 81 )」である方々も……。そんなことを言って呼び出した後に怒られないのでしょうか。

 

イービスの死の直前(97-126)

 神様を呼べるだけ呼んだオウィディウスは、イービス氏の死をほのめかします。「ご覧のとおり、お前の葬式のための祭壇はできている (jam stat, ut ipse vides, funeris ara tui. 104)」と言い、死に際には誰もお前を憐れまず、長い苦しみの中でもがきながら死ねばいい、という呪詛を吐きます。

 

詩人の亡霊(127-162)

 オウィディウスはここで自分の死後を想定した話を始めます。自分は死んでも怒りを携えたまま、亡霊となってお前に襲いかかってやる、と言うのです。

 

イービスの死後とタルタロス(163-208)

 ここからは死ぬ前ではなく死後の話。「お前はエリュシウムの野から離れた場所へよけられ、罪を犯した群衆がすみかとしているところに居着くだろう (in loca ab Elysiis diversa fugabere campis, / quasque tenet sedes noxia turba, coles. 173-74) 」と言い、タルタロスの描写が並びます。

 

イービス出生時の凶兆 (209-250)

 死後の話の次は出生の話。イービスが生まれたとき、神々は喜ばず、様々な凶兆が見られたとオウィディウスは語ります。

 そして、生まれ落ちたベイビーイービスをお世話したのは見るも恐ろしいエウメニデスだった、運命女神三姉妹のひとりクロトから「お前の運命を歌う詩人が現れるだろう (fata canet vates qui tua ... erit. 246) 」というとどめの予言が下った、と言ってイービス氏の存在そのものをどんどん貶めていきます。247行で「私がその詩人だ(ille ego sum vates: 247)」って言うのはベタな展開かもしらんけど私は好き。

 

神話/歴史と同じ罰を (251-638)

 生も死も否定され、おそらくイービス氏は大ダメージを受けています。しかし、ここからがオウィディウス先生の真骨頂です。

 ここまでで「イービスに苦しんでほしい!」という主張は十分になされており、ここからはイービスに受けてほしい苦しみを、神話を引用しながら詳述しています。おまけと言っても差し支えないかもしれません。ただ、分量が多すぎて「おまけが本編」になっています。オウィディウスの恨みはこれだけの分量を割かないと発散しきれなかったのでしょう。

 そしてこのパートの何がすごいって、いつもどおり2-4行だけの引用を畳みかけています。もちろんこれだけの行数があるので、中には何度か引用されている人物もいますが、それにしたって膨大な数が引かれています。今までの作品からもわかっていましたが、オウィディウスの知識量の多さを改めて思い知らされる箇所です。

 

まとめ(639-644)

 これは短いのでそのまま載せます。拙訳で失礼、かなり言葉を補っています(言い訳)

 

haec tibi tantisper subito sint missa libello,
    inmemores ne nos esse querare tui.
pauca quidem, fateor: sed di dent plura rogatis,
    multiplicentque suo vota favore mea.
postmodo plura leges et nomen habentia verum,
    et pede quo debent acria bella geri.

その間にこれらの言葉が性急な誹謗詩という形でお前に届けられるといい、
 私がお前のことを忘れたと、お前が不満を言わなくていいように。
たしかに言葉数は少ないと認めよう。しかし、神々は願った分より多くのものを与え、
 そのご好意で私の願いを大きくしてくれるかもしれない。
やがてお前は、本当の名前を含めたより長い詩を読むだろう。
 苛烈な戦いを語るにふさわしい韻脚で語られたものを。

 

最後の二行でほのめかされている、イービス氏の本名込みのイアンボス詩がどこかで見つかったら面白いですね。間違いなく世界中が大騒ぎ。

 

 

【全ての「神」が俺の味方!】

 話を67-96行に戻しますが、オウィディウスは森羅万象を司るあらゆる神々に呼びかけ、現世の全てがイービス氏の敵になり、この世にありうる全ての苦痛が彼に降りかかるように願います。このとき彼は自分を「神官(sacerdos, 97)」に位置付けています。

 ところで、オウィディウスが追放後の作品内で「神」とした人物がいます。皇帝アウグストゥスです。『悲しみの歌』と『黒海からの手紙』には、アウグストゥスを指してユピテルと書いている箇所がいくつかあります。このことから、おそらく『イービス』内で神々を列挙していたときも皇帝を意識していたんじゃないか、というのが私の考えです。そして「神官」を自称することで、自分は神ともいえるアウグストゥス帝に仕える身であるとアピールしているんじゃないか、と。

 だからこの作品もまた『悲しみの歌』や『黒海からの手紙』と同様に、皇帝への嘆願含んだものだと思うのですが、『イービス』についてはまだまだ勉強中なのであまり確信がありません。これが(639行で言われているように)ローマに届いて、オウィディウスがめちゃくちゃ怒っているのが伝わるだけでも何かしらの効果はあったはずです。あるいは、詩の中だけでもイービス氏をめっためたにやっつけて憂さ晴らししたかったのかも。まぁ、詩人の意図を探るのは野暮ですね。

 

*****

 

シリーズ「推しを語る」は次回でついに最終回です!!(ベースになる文章あったのにどんだけ時間かかってんねん……)最後はオウィディウスの遺作『黒海からの手紙』について!

 

最後にネットの海で見つけた素敵な絵を貼っておきます。安心と信頼のターナー先生。

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ウィリアム・ターナー《ローマから追放されたオウィディウス》1838