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西洋古典学って、ご存知ですか?

『フェードル』観てきました(前編)

5/7(日)、刈谷市総合文化センターにて観てきました…

 

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ジャン・ラシーヌ原作、栗山民也演出、大竹しのぶ主演の『フェードル』!!

 

実に2週間以上経過していますが、観劇レポとして何を書くべきか迷っていたらこんなことに…(・・;)ゴメンナサイ

観劇を趣味とする私ですが、別に演劇経験者でもありませんから役者さん演出さんについて書けることもなく…。

というわけで観劇レポと言いつつ以下の項目について書いていきます。

長くなるので前/後編に分けます!

 

◇『フェードル』とは

・恋するイポリット

・アリシーは何者か

◇役者の年齢(青山真治演出ver.との比較)

・パイドラの年齢

 

 

『フェードル』とは

カタカナだと何だか想像しにくいですが、フランス語の元の綴りはPhèdreです。

これでもちょっとわかりにくいですねw

ギリシア語だとΦαίδρα、ラテン語だとPhaedra…

そうです、エウリピデスの『ヒッポリュトス』やセネカの『パエドラ』でお馴染みのあの女性こそフェードルです。

 

この劇を書いたのはフランスの劇作家ジャン・ラシーヌ。初演は1677年です。

あらすじは上述したふたつの古典悲劇と同じで、アテナイテセウスの妻パイドラが義理の息子であるヒッポリュトスに恋をしてしまう、というものです。

 

ただ、元の悲劇を知っているとちょっと困惑してしまう点があります。

それは以下のふたつ。

 

恋するイポリット

古典悲劇のヒッポリュトスといえば、アルテミスを崇めてアプロディテを忌み嫌う(それゆえに罰を受ける)、貞潔をとてもとても重んじるひとです。プロの童貞とも言える。

そんな彼が、ラシーヌ版だとアリシーという女の子に恋をしている状態で登場します。

ただ、恋愛を忌み嫌う性質は残っているので、劇中では義理の息子に恋してしまったフェードルの苦悩と共に、したくないはずの恋をしてしまったイポリットの苦悩も描かれます。これゆえ、元の悲劇にあった様々なテーマ(敬神、恥、嘆願etc...)を押しのけて「恋愛」が圧倒的な存在感を見せています。

アプロディテが劇中で書かれる恋に関与しているのは古典劇と同じ。

尤も、古典劇では「ヒッポリュトスが私を蔑む!人間風情で!キィーッ!!」という感じなのが、ラシーヌ版だと「太陽神ヘリオスの一族はみんな呪ってやる~~~」というお考えのようです。

※パイドラの母パシパエはヘリオスの娘なので、パイドラもまたヘリオスの血を引く者となります。

※アプロディテがヘリオスを憎んでいるのは、かつてアレスと密通していたのをこの神がヘパイストス(いちおうアプロディテの夫)にチクったからです。その結果としてたいそう恥ずかしい罰を受けることになったので、女神はヘリオスとその子孫を憎んでいます。詳しくは『オデュッセイア』第8歌264-366行にて。

 

アリシーの存在

初めて原作であるラシーヌの戯曲を読んでアリシーが登場した時、私の心には「誰やお前」という一言が浮かびました←

古典劇のヒッポリュトスはプロの童貞恋など絶対しない人なので、恋される存在(アリシー)はもちろん登場しません。

ではこの人物はラシーヌの創作かというと、そうでもありません。

ラシーヌ本人による『フェードル』序文によると、彼はウェルギリウスを参考にしたそうです。その箇所は『アエネーイス』第7歌761-82行。

ここで登場しているのはヒッポリュトスの息子なのですが、その母はアリーキア(Aricia)という名前らしいです。

 

ここで古典悲劇の内容を思い返すと、「ヒッポリュトス死んだやん」となります。

どうもあの悲劇の後、アスクレピオスが蘇らせたという話があるようです。この話はオウィディウスの『変身物語』第15巻にも収録されています。

そして命を取り戻した彼はウィルビウスと呼ばれるようになり、その土地のニンフ(アリーキアは本来地名のようです)と結ばれ、一子をもうけたとのこと…。

 

 

このように古典劇から筋書きに変化は見られるものの、ラシーヌ版はラシーヌ版で、人間の心の動きにぐぐっと注目した悲劇となっています。

エウリピデス版に登場したアプロディテやアルテミスがいなくなることで、より身近な「人間の悲劇」として観客の心を揺さぶってくる…気がします。

とにかく大竹しのぶは名女優でした、ということで後編に続きまーす!