【Fasti】推しを語る #7
前回の記事はこちらからどうぞ
「推しを語る」第7回は『祭暦(Fasti)』についてです。
日本語訳は出版されていますが、なかなか普通の書店じゃ見つけられませんね…。
『祭暦(Fasti)』はローマの縁起物語集です。一巻につき一ヶ月分の祭儀や暦に関するエピソードがカレンダー順に入っており、全六巻あります。(おや?)
『変身物語』とほぼ同じ時期(詩作第二期)に書かれた作品であり、形式も内容もかの叙事詩と似通った、あるいは対照的な特徴が見られます。
なので今回は(プルタルコスの『対比列伝』ではありませんが)『変身物語』との比較を交えながら『祭暦』について語っていきます。
◆形式について――伝統は覆すもの
形式、つまり作品の題材と韻律について言うと、この作品は『変身物語』と真逆の性質を持っていると言えます。
というのも、『変身物語』は変身という軽い題材を六脚律という重い韻律で書いたものですが、『祭暦』は祭儀という重い題材をエレゲイアという軽い韻律で書いています。
題材と韻律の軽重をあえて逆にしているという点では二作は共通しています。まぁ縁起譚を最初にエレゲイアで書いたのはみんな大好きカリマコス先生なんですけど。
この頃のオウィディウスくんは題材と形式をあえてハズすのが好きだったみたいです。おしゃれ上級者かな。
ところで題材の軽い重いは何で決まるのかをはっきり言っていませんでした。
国家や民族といった集団に関わるものが重い題材、個人とその周辺に関わるものが軽い題材と考えればいいと思います。
英雄は国の成り立ちや民族の精神性に関わる人物だから、戦争や祭儀は国が取り仕切るイベントだから重い題材。
反対に、恋や宴会は個人的な出来事だから軽い題材です。変身譚も個人に注目した物語だから軽いとみなしえます。
また、韻律にも公私の区別があって、六脚律は公の場で発表する詩に、エレゲイアは私的な場で歌う詩に使われたものでした。
韻律論については逸身先生のこちらの書籍にわかりやすくまとまっています。めっちゃおすすめの一冊。
題材が公なら韻律も公、というふうに一致させるのが文学界隈の常識でしたし、オウィディウス自身も長らくその理念に基づいて詩作を続けていたはずですが、突然常識を裏切ったのがこの時期のオウィディウスです。
『祭暦』第二巻冒頭でも彼は題材と形式の不一致について言及しています。
Janus habet finem, cum carmine crescit et annus:
alter ut hic mensis, sic liber alter eat.
nunc primum velis, elegi, maioribus itis:
exiguum, memini, nuper eratis opus.
ipse ego vos habui faciles in amore ministros,
cum lusit numeris prima iuventa suis. (Ov. Fas. 2.1-6)
ヤヌスは終わりを迎えた。歌と共に一年は日を重ねる。
ここで次の月になったのにあわせて、次の巻にしよう。
いま初めて、エレゲイアよ、お前はより大きな帆によって進む。
覚えている、最近までお前は取るに足りない作りだった。
この私がお前を愛の従順な下僕とした、
そのとき初々しい青春がその韻律で戯れていた。
3-4行で「小さい」韻律で「大きな」題材が展開されていくこと、エレゲイアで公的な内容を扱うのが「初めて」であることを述べています。全て彼の計画の内です。
◆内容について――教訓詩のパロディ、再び
『祭暦』という作品は教訓詩の伝統を取り込んでいます。オウィディウスの教訓詩といえば『恋の技法』がありますが、あの時は内容も韻律も先例に則っていませんでした。
今回はそれと比べると真面目な教訓詩に見えますが、教訓の正確性を揺るがすような記述もたびたび見られます。例えばこんなの。
Quaeritis, unde putem Maio data nomina mensi?
non satis est liquido cognita causa mihi.
ut stat et incertus qua sit sibi nescit eundum,
cum videt ex omni parte viator iter:
sic, quia posse datur diversas reddere causas,
qua ferar, ignoro, copiaque ipsa nocet, (Ov. Fas. 5.1-6)
マイユスという月の名がどこから与えられたか、私の考えをお尋ねですか?
その由来は私には十分明確にはわかりません。
旅人がどちらへ進むべきかわからず立ち止まっている、
そしてあらゆる方向の道を見ている、
そんな風にさまざまな由来をあてがうことができますから、
どれを話すべきかわかりません、多さそのものが仇となっています。
教訓詩はよりよく生きるための知恵を授けてくれる詩。そう考えると、『恋の技法』のときは(その内容が実際に役立つかは諸説ありますが)自信を持って「これはこう!」と教えてくれていたので、韻律や題材がおかしくても教訓詩っぽいと言えたのです。
ところが今回はこのありさま。エピソードが多すぎてどれが最適かわからないと言います。あるいは、通りすがりの人から聞いたと前置きして縁起譚を載せたり、内容の正確性はまるで重視されていません。
オウィディウスにしか言及のないローマの祭儀について知りたがった人類学者は、この科学的正確さの欠如に泣かされたものです。
このように、『祭暦』は教訓詩なのに正確性を保証していません。そのユーモラスな語り口で伝統から外れるスタイルを採っています。ひととおり話してから「知らんけど」と最後に言い放つ関西人のようです。
また、祭暦は教訓詩の中でも縁起詩と天文詩というふたつのジャンルの伝統を踏んでいます。いずれもヘレニズム期に起源を持つジャンルです。
縁起詩の代表は何といってもカリマコスの『縁起物語(Aitia)』です。ヘレニズム期に文学作品で変身を扱うのが流行ったと『変身物語』の項で書きましたが、そのきっかけになったのがこの『縁起物語』。
ちなみに、プロペルティウスが自身の詩集第四巻でローマの公の神事について扱ったのも、この作品があったからです(この巻で彼が「ローマのカリマコス」を自称したのはそういう背景があります)。
そして『縁起物語』がエレゲイアで書かれていたがゆえに、プロペルティウスの第四巻や『祭暦』も(題材が公的なものであっても)エレゲイアを採用しています。
もうひとつの天文詩にはアラトスの『天象(Phaenomena)』があります。
このジャンルは星座の昇りと沈み、星座にまつわる神話や伝承を語るもので、ローマでも何人かの著作家が取り組んでいます。ただ、他の天文詩は全ての星座(この時代だとプトレマイオスの48星座を指します)について記述し、韻律は六脚律を用いています。
『祭暦』はその点、言及する星座は一部ですし、韻律も違います。
さらに、讃歌というジャンルの影響もあります。神々の誕生や権能、それにまつわる伝承を歌うものですね。これも普通は六脚律を用いるジャンルです。
例えば第四巻に見られる乙女(プロセルピナ)の掠奪の話は『ホメロス風讃歌』に含まれる「デメテル讃歌」に基づくものです。
こんなにたくさんのジャンルの要素を融合させつつ、オウィディウスらしいおふざけ感も残しているとは、さすが天性の詩人だと言わざるをえません。読んで楽しく、史料としても興味深い作品です。
*****
さて、最初に言ったとおり『祭暦』は全六巻です。
ただし、当時のローマはすでにユリウス暦を採択していたので一年は12ヶ月ありました。一巻で一ヶ月分の内容なので、全十二巻になるはずなのに、足りません。
この作品が未完に終わった理由は、紀元後八年に突如詩人に降りかかった出来事によります。そして、この出来事と共に詩作第三期へ移行し、我々は詩人の新たな表情を見ることになります。