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「推しを語る」シリーズも折り返し後半戦になりました。
今回は彼の代表作であり、私の研究対象である『変身物語(Metamorphoses)』についてです。
オウィディウス研究といえば『変身物語』研究!みたいなところは相変わらずありますよね。
日本語での全訳もこれまでに三回出版されています。
① 田中秀央・前田敬作訳、『転身物語』、人文書院、1966。
② 中村善也訳、『変身物語』(上・下)、岩波文庫、1981/84。
③ 高橋宏幸訳、『変身物語』(1・2)、京都大学学術出版会、2019/20。
オウィディウスの全作品、いやラテン文学の中でも研究が最も盛んな作品のひとつなので言うべきことはいろいろありますが、今回は二点に絞ります。
前半でお話するのはこの作品がいかに叙事詩らしくないかということ。
この作品は『イリアス』や『アエネーイス』と同じ「叙事詩」に分類されます。たしかに形式は叙事詩のそれですし、内容や表現技法も叙事詩の伝統に基づくものがちょいちょい出てくるのですが、それらを以てしてもやっぱり叙事詩らしくない作品です。今回は「らしくない」ところを三点挙げます。
後半はこの作品が「ギリシャ神話」を形成する上で与えた影響がどれだけ大きかったか。
オウィディウスは基本的に何かを参考にして各神話を語っていますが、ものによっては元の筋書きに大幅なアレンジが加わったりしています。しかしそのアレンジされたバージョンの方が後の時代に有名になることもしばしば。「古代の壁サー」とも言われるその影響力の大きさを具体例を見ながらお話します。
Ⅰ.異端の叙事詩『変身物語』
『変身物語(原題:Metamorphoses)』は全15巻、約12000行から成る作品で、オウィディウスの作品の中では唯一六脚律を用いています。
これだけ言うとちゃんとした叙事詩っぽいですよね。ちゃんと序歌で神様に呼びかけつつ詩のテーマを提示しているので、オウィディウスが叙事詩を書こうとしていたことはわかります。
ここで叙事詩とはどういう詩かを確認しておきますと、ひとりの英雄あるいはひとつの歴史的事件に着目して紡がれる長大な詩、です。
ローマ文学史を見渡すと、英雄叙事詩ならウェルギリウスの『アエネーイス』やスタティウスの『テーバイス』が、歴史叙事詩ならエンニウスの『年代記』(断片のみ)やルカヌスの『内乱』があります。
ところが『変身物語』は、一見するとどちらにも当てはまりません。
1-1. 叙事詩なのに……小品の寄せ集め
この作品は12000行ととっても長いのですが、その中身は250あまりの神話を連想ゲームのように繋ぎ合わせたものです。時代も場所もさまざまなおはなしたちで、共通するのは「変身」という主題だけ。
全てのおはなしはそれぞれにきちんと完結してから次へ向かうので、小さな物語の集合体になっている状態です。
一般的な叙事詩が全体でひとつの大きな物語であるのとは正反対ですね。なので『変身物語』を叙事詩として素直に受け止めることは少々ためらわれるのです。
ただ、それぞれが短くまとまっていることは「長い作品でありながら途中から読んでも楽しめる」「ここだけでも読んで!とひとに薦めやすい」という長所にもなっていると私は思います。
1-2. 叙事詩なのに……語りに一貫性がない
いろんな神話が詰め込まれているだけでなく、それぞれのお話に応じて語り口が変わるのがこの作品の面白いところ。
例えば、作中で最も英雄叙事詩らしい場面のひとつである5巻のペルセウス対ピネウス一味の争い。ペルセウスによって倒された人々の名前が列挙されていきますが、これは「カタロゴス(一覧表)」という叙事詩に常套の形式です。
『イリアス』2歌などにも見られるこのカタロゴスを使うことで叙事詩らしさを醸し出していますが、オウィディウスは途中で「全部言ってたら話が長くなる」とぶった切ります。叙事詩の語り口を否定していくまさかのスタイル。
また、作品全体を通してたびたび現れる「アポストロペー(頓呼法)」も叙事詩でよく見られる表現です。お話の登場人物に詩人が呼びかけるやつですね。オウィディウスは勢い余ってたまに読者にも話しかけてきますけど(笑)
反対に、叙事詩以外のジャンル(特に恋愛詩)のモチーフを持ち出してくることもしばしば。14巻に登場するイピスという男性は、自身の恋心を「狂気」と表現したり、想い人の家の前で彼女に会えるのを待っていたりしますが、いずれもプロペルティウスなどの作品に見られる恋する男性の姿に重なります。
このようにさまざまな技法やモチーフを使って紡がれる『変身物語』は、まさにタイトルどおりに変身し続ける物語なのです。
1-3. 叙事詩なのに……「変身」をうたう
そもそも「変身」を題材にしているところが既に叙事詩らしくなかったりします。
「変身」が文学作品の主題として流行したのはヘレニズム期のことです。実際、オウィディウスも『変身物語』執筆にあたってはこの時期に現れた変身譚を参考にしています。
ヘレニズム期より前、古典期やアルカイック期にも変身の神話は存在したのですが、このときは物語のメインになることはありませんでした。この頃の物語は「恋愛」や「変身」といった個人にまつわる出来事も扱うには扱うのですが、個人よりも国や共同体に主眼を置いていました。民族のルーツに関わる「英雄」であり、国の行方を左右する「戦争」がテーマになっていたのです。
そのような公的な題材から個人へと目が移ったのがヘレニズム期です。ただし、この頃は長い詩も避けられた時期。必然的に変身譚は短くまとまった物語となりました。
そして『変身物語』は「変身」をあえて長い詩の題材にしました。ここにはやはり内容と形式の不均衡が見られます。
1-4. それでもこれは叙事詩
この叙事詩らしくない長い詩をどうやって叙事詩として読むかにひとは悩まされるわけですが、膨大な数の神話たちがどのように並べられているかを読み解くと、四部構成になっていることがわかります。
まず天地創造が描かれ(1.5-451)、神々と人間とが恋したり争ったりする時代があり(1.452-6.400)、人間同士が恋したり争ったりする時代があり(6.401-11.193)、ローマという国家が出来上がるのに関わる戦争が語られます(11.194-15.870)。
もちろん細かく見ていくと時系列は前後したりするのですが、大まかに見ると四つの時代が順番に並んでいます。宇宙の誕生から始まって、詩人本人が生きる時代に至って終わる。
つまりこの作品は「いまのローマ」が生まれるまでの長い長い歴史の物語なのです。エンニウスの『年代記』のように。たしかにオウィディウスも序歌で「世界の始まりから私の時代まで」と言っています。こうして見ると、『変身物語』は歴史叙事詩のひとつと言うことができるのです。
Ⅱ.ローマ人が作ったギリシャ神話
さて、ここからは受容のおはなしです。
『変身物語』はルネサンス期以降、多くの絵画や文学の典拠となりました。有名処でいくと、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』。この悲劇のもとになった神話は、『変身物語』4巻に収録されているピュラモスとティスベという男女のエピソードです。
あらすじはロミジュリとほぼ同じなので割愛しますが、なんとこの話は古代の作品だとオウィディウス以外に記録がない。これ、実はオウィディウス作品のあるあるのひとつです。
例えばナルキッソスの話もそう。「ナルシスト」の語源になった少年の話で、日本ではわりと有名なギリシャ神話のひとつだと思いますが、オウィディウスより前の伝承を探そうとすると、出てこない。それでいてナルキッソスに関する後代の芸術作品は山ほどあります。
ウォーターハウスもいいけど私はカラヴァッジョが好き。
彼の時代に既に有名だったキャラクターのおはなしもオウィディウス流にアレンジされました。13巻には『オデュッセイア』9歌に出てきた一つ目巨人ポリュペモスが登場しますが、『変身物語』ではオデュッセウスとのあれこれではなく、ガラテイアというニンフに恋をした時の話が書かれています。ガラテイアにはアキスという恋人がいたのですが、ポリュペモスは嫉妬からアキスを殺してしまう、というお話です。
といっても、ポリュペモスの恋バナ自体はオウィディウスのオリジナルではありません。ポリュペモスの恋、ガラテイアという名前はテオクリトスの『牧歌』に既に出てきています。この恋物語にアキスを巻き込んだのがオウィディウスのオリジナルストーリーです。
その後この三角関係の物語にはほとんど手が加えられず、ヘンデルの仮面劇『エイシスとガラテア』などの音楽作品のもとになりました。絵画だとプッサンとか。
現代まで受け継がれている「ギリシャ神話」は、その多くがオウィディウスという「ローマ人」の手で形作られたものです。この歪さが面白いとたびたび思います。それほど彼の語りは絵画的で魅力的なのです。
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ところで、『変身物語』は詩作第一期にさんざん言っていた「題材と形式の一致」を裏切っています。「変身」という個人的な題材を「六脚律」という叙事詩のための韻律にのせているわけですから。
この裏切りは詩作第二期の特徴のひとつかもしれません。次回扱う『祭暦』にも同様の不一致が見られます。