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西洋古典学って、ご存知ですか?

【Ex Ponto】推しを語る #10

前回の記事はこちら

eureka-merl.hatenablog.com

 

長きに渡る「推しを語る」シリーズも最終回になりました。

最後に取り上げるのは『黒海からの手紙(Epistulae ex Ponto)』です。

※「手紙」を意味するepistulaeはときどき省略されます。

日本語訳は、第8回でご紹介したとおり、京大出版から『悲しみの歌』とセットで出ています。 

 

今回の目次はこちら。最後の項目は全10回のまとめ(という名目で書き散らかした私のオウィディウス観)も含みます。

Ⅰ. 執筆時期、皇帝と詩人の死

Ⅱ. Tristiaとの違い

Ⅲ. 天才詩人の本音

 

 

【執筆時期、皇帝と詩人の死】 

 『黒海からの手紙』は全部で四巻あります。三巻まで(全30篇)は紀元後13年にまとめて発表されました。第四巻の16篇は14~16年に書きためられ、オウィディウスの死後に公刊されたと考えられています。 

 ところで、オウィディウスを流刑に処したアウグストゥス帝は紀元後14年8月19日に亡くなりました。これに影響されてか、『黒海からの手紙』第四巻は――相変わらずローマへの帰還を願う言葉を連ねているものの――諦めにも似たものが感じられます。

 そして、当のオウィディウスは紀元後17年に息を引き取りました。妻と娘がいる祖国ローマではなく、冷たい風の吹き荒ぶトミスで。……たしかに彼は悪いことをしたのかもしれませんが(例の「過失」の内容がわからないので何とも)、ローマでの彼の人気ぶりや飄々とした言葉遣いを思うと、かつての栄光とはあまりに対照的な、寂しげな最期だと言わざるをえません。

 ちなみに、オウィディウス本人が記した墓碑銘は以下の通り。

 

HIC EGO QVI IACEO TENERORVM LVSOR AMORVM
    INGENIO PERII NASO POETA MEO
AT TIBI QVI TRANSIS NE SIT GRAVE QVISQVIS AMASTI
    DICERE NASONIS MOLLITER OSSA CVBENT    (Tr.3.3.73-76)

ここに眠るは優しき恋の戯れ人、
 詩人ナーソーは己の才ゆえに滅びたり。
道行く人よ、君が恋をしたことがあるなら、どうかためらわず
 言ってくれ「ナーソーの骨よ、安らかに眠れ」と。

 

 

【Tristiaとの違い】

 『悲しみの歌』と『黒海からの手紙』は、形式はもちろん内容もよく似た作品です。

 まず『黒海からの手紙』の韻律もエレゲイアです。これを選んだ理由は『悲しみの歌』と同じでしょう。

 そして各詩篇の並び方がシンメトリ構造を成しているところも共通しています。ただし、先ほども述べたとおり、『黒海からの手紙』は三巻いっぺんに発表されています。そのため、シンメトリも三巻にまたがった大掛かりなものとなっています。

 それ以外の共通点と相違点に関しては、オウィディウス本人が二作を比較してこのように述べています。 

 
invenies, quamvis non est miserabilis index,
    non minus hoc illo triste, quod ante dedi.
rebus idem, titulo differt; et epistula cui sit
    non occultato nomine missa docet.    (1.1.15-18)

おわかりでしょう、たとえ憐れみを誘う題名でなくても、
 この本がかつて送ったものと同じくらい悲しげなものだと。
内容は同じだけれど、表題は違う。そしてこの手紙は宛先である
 人物の名前を隠さずに教えている。

 

オウィディウスの言葉だけで十分説明できているように思いますが、一応補足。

 『黒海からの手紙』は『悲しみの歌』と同様に、都ローマを離れることになってしまった詩人の悲しみをテーマとしています。何年経ってもローマに戻りたいという詩人の気持ちは変わっていません。先ほども述べたように、若干諦めモードに移行しているようにも読めますが。

 表題以外に違うのは、『黒海からの手紙』では各書簡の宛先がはっきり記されていることです。『悲しみの歌』は同じ書簡詩といってもモノローグ的なものもありましたが、今回は宛先が指定されているのでより書簡らしくなっています。妻や親友、幼なじみだけでなく、アウグストゥスの周辺にいる有力者たちの名前もあります。

 といっても、具体的な名前が書かれていないものもあります。第三巻6歌は「友人(sodali, 3.6.1)」に宛てたものですが、名前は伏せられています。どうやら受取人が名前を挙げられたくなかったようです。また、続く7歌も「友人たち(amici, 3.7.9)」に宛てていて、誰かひとりを指定しているわけではありません。

 

 第四巻は三巻までとは違った特徴があります。まず、全16篇中6歌と9歌を除けばこれまでに出てきていない人物に宛てたものであり、妻宛ての手紙がないこと。そして分量が他の巻よりも、さらに言えば『悲しみの歌』の各巻よりも長いこと(880行)。

 そしてこの巻にも受取人の名前が明記されていない手紙がふたつあります。

 

 

【天才詩人の本音】

 宛先が書かれていない手紙ひとつめは第四巻3歌。京大出版やLoeb叢書の訳だと「不実な友に」と題されている手紙です。オウィディウスは手紙の冒頭で名前を出すかどうか迷った末に出さないと決めました。

 この手紙によれば、もともと彼とオウィディウスは幼なじみで家族ぐるみの付き合いがあったそうです。ところが、どういうわけか、この友人は「名前を聞くと、ナーソーとは誰かと尋ねる(quisque sit, audito nomine, Naso, rogas. 4.3.10)」ようになってしまい、ついには「倒れた私を侮辱し、言葉を控えない(insultare jacenti / te mihi nec verbis parcere, 4.3.27-28)」という噂まで。

 前作でさんざんこき下ろしていたイービス氏もフォルムであることないこと言っていたと書かれていたので、もしや同一人物?と思いましたが、幼なじみという情報はなかったので別人でしょう。そしてイービス氏には当たりの強かったオウィディウスですが、この「不実な友」に対しては、ただ彼がこうなってしまったのが悲しい、という心情が見受けられます。

 そしてこの手紙は「きみもまた恐れるがよい(tu quoque fac timeas, 4.3.57)」と締められます。自分だってローマにいたときにトミス追放を警告されていたら冗談だと思っただろうけれど、真実になってしまったんだから。それぐらい人生ってどうなるかわからないから。


 宛先を特定していないもうひとつの手紙は、この巻の最後を飾る第16歌です。「嫉妬深い奴め、どうして追放されたナーソーの詩を罵るのか(Invide, quid laceras Nasonis carmina rapti? 4.16.1)」という言葉で始まるこの詩は、これまでのようにローマへの帰還を願う詩ではありません。

 この手紙でオウィディウスが綴るのは、同時代の詩人たちの名前と作品です。そして自分も同様の名声を得ていたと語り、いまの自分が、自分の作品が悪く言われることを恐れています。そして、彼はこのような言葉で作品を締めくくりました。

 

quid iuvat extinctos ferrum demittere in artus?
  non habet in nobis iam nova plaga locum.  (Ex. 4.16.51-52)
どうして死人の体に刃を突き立てて喜ぶんだ?
  私の体には新しい傷を受ける余地なんてないのに。

 

かつては都会派の雅の詩人だった(もっと言えば文芸界隈でやんちゃしていた)オウィディウスが最後に歌った言葉がこれというのは悲しく、痛ましく、そして、どうにもオウィディウスらしくない弱々しさを感じてしまいます。全盛期の彼なら、たとえ悪口を言われても顔色ひとつ変えず言葉で殴り返してきそう。

 そして、この詩を最後に置いたのは、これまでの作品を振り返ればオウィディウス本人であることは間違いないでしょう。作品の一番最後、一番新しい記憶となるところで記した想いは「ローマに帰りたい」ではなく、「詩人として得た名声を失いたくない」でした。そしてこの想いは不特定多数の人々に宛てて書かれたのです。

 彼は皇帝の意思に逆らうつもりなんて全くなくて、ただ自分の目に映るローマの姿が面白くて、それを無邪気に書き留めただけなのに。どうしてこうなったんだろう、という空しさが感じられる手紙です。

 

 少し後の時代の話ですが、弁論教師クインティリアーヌスはオウィディウスのことを「自分の才能を愛しすぎた者 (nimium amator ingenii sui, Quint. 10.88) 」と言っています。その評価は妥当だと思います。逆にそうでなければあの作品たちは書けなかったでしょう。

 平和の象徴だった恋を戦いと遊戯に転じさせた『恋の歌』

 神話の女性たちに筆を執らせた新しい設定の書簡詩『名高い女たちの手紙』

 指南書の体を採って市井の恋愛模様を記録した『恋の技法』

 恋愛詩でありながら恋という病を治そうとする『恋の治療』

 主人公を入れ替えながら歴史を辿る異端の叙事詩『変身物語』

 さまざまなジャンルの伝統を織り交ぜた新しい教訓詩『祭暦』

ローマにいた頃の彼が生み出した作品は、どれもこれもヘレニズム期の流れを汲みながら、さらにその伝統をも打ち破るかのようなものばかりでした。彼の才能あってこその技でしょう。

 私が思うに、オウィディウスの才能は「それぞれの作品に応じた語り手になりきること」です。あるときは教師、あるときは医師。あるときは恋愛詩人、あるときは叙事詩人。ときには神話上の人物になりきることも可能。そんな語り手としての仮面をいくつも使い分け、そしてときどき仮面をずらしてこっちを窺うような語りをするのがオウィディウスです。他の詩人は作品途中で素顔を晒すことはないんですけどね。そのへんも自己愛の現れなのかもしれません。

 そんなオウィディウスが完全に仮面を剥いだ作品が『悲しみの歌』であり『黒海からの手紙』だと私は思っています。詩という場を離れ、語り手を演じることをしなくなった彼は、どこか頼りなさげです。役者も舞台を降りれば素に戻る、ということか。

 それでも彼は詩人のままで、どれだけ辛く悲しい状況下でも言葉を韻律に乗せることは忘れませんでした。彼は「詩なくして生きることはできない(nequeo tamen esse sine illis, Tr. 5.7.33)」状態になっていたのです。そして、むりやりひねり出すわけでもなく、ただ感情のおもむくままに全9巻の書簡詩+αを書き上げたのですから、本当に詩を書くために生まれたひとだったんだと思わされます。

 

 

*****

 

 今回でシリーズ「推しを語る」は終了です。彼は心からローマを愛し、詩を愛し、ローマで詩人として活躍した自分に誇りを持っていました。その愛と誇りに満ちた言葉は、彼の心配をよそに、いつの世もきちんと評価されてこの極東の国にまで伝わっています。そして良い意味で人生を狂わされたのが私です(笑)

 私の人生をときめきや感動で彩ってくれた彼に何を返せるだろう、と考えた結果がこの連載でした。拙い語りでしたが、私の文章を読んでオウィディウスへの興味が湧いたという方が一人でも多くいれば幸いです。そして、読者が一人でも増えることがあの世(エリュシウムかリンボか)にいる彼の幸せにつながると信じています。

 

quaque patet domitis Romana potentia terris,
ore legar populi, perque omnia saecula fama,
siquid habent veri vatum praesagia, vivam.    (Met. 15.877-79)

地上を制したローマの権勢が及ぶ限りの場所で
人々は私の詩を口にするだろう、いつの時代も名声を得て、
詩人が何らかの真実を予感できるなら、私は生きるだろう。