Εὕρηκα!

西洋古典学って、ご存知ですか?

縛られたプロメテウス@あいちトリエンナーレ

10/14(月)に閉幕したあいちトリエンナーレで発表されたパフォーミングアーツ『縛られたプロメテウス』の鑑賞レポートです。

私があの部屋で見たものを、私の記憶に残っているまま、記録しています。なので、実際の内容とは多少のズレが生じていると思います。私はそんなに記憶力が良くないので。ついでに言うと文章力もない、なんか出来損ないの小説みたいな文体になってる。

そして、見たもの全てを記録しています。トリエンナーレの会期は終わったからネタバレしても問題ない、と判断して書きました。が、今後どこか別の機会で再び上演されることに期待される場合は、読まないことをお勧めします。

あ、私が行ったのは10/10(木)18:30の回です。

 

 

18:10、芸文大リハ室に到着。トリエンナーレの何かが気に食わなかったらしいおじさんが、スタッフさんにつっかかっているのを横目で見る。

作家の小泉明郎氏が、目の前にいた。

 

18:25頃、おじさんが「ふざけんな!」と怒鳴って立ち去る。その少し後、18:30の回で案内される面々に注意書きが配られた。 歩き回って鑑賞する作品なので、走らないよう。気分が悪くなったり、機器に不具合が見られたら、スタッフへ告げるよう。など。

ちなみに一度に案内されたのは20人ほど。こんなに少人数ならそりゃあチケットもすぐ売り切れるよねぇ。


18:30、リハーサル室の扉が開く。サイバーチックな恰好のスタッフが中から出てきた。上下とも真っ白。ストームトルーパーとはちょっと違うかなぁ…、とにかく近未来っぽい恰好。そのひとに案内され、一列になって入室した。


室内は薄暗く、黒い壁に白い直線が何本も走っている。宣材写真は真っ白い部屋に五人が椅子に座ってる光景だったから、この時点であの写真はあてにならなかったと気付く。(写真のクレジットを後でよく見たら、過去作品の様子を撮ったものらしかった。)

部屋の奥に据えられたラックに手荷物を置き、中央へ案内される。
中央にはVR機器が円形に並べられていた。その並びに沿う形で鑑賞者も集合した。機器はスタッフの手で鑑賞者の頭に装着させられた。(私は眼鏡があるせいか上手く顔にはまらず、結局最後まで両手で支えていた。)ゴーグル越しに見えたのは先程と変わらない光景だったが、やや彩度に欠けていた。この時点では他の鑑賞者もスタッフも見えている。機器の動作確認用の白い三角錐が、部屋の中央に浮かんでいた。


開始の合図と共に、三角錐から何本もの直線が伸びてきた。鑑賞者のほとんどが思わず後ずさり。また、機械的な男性の声も聞こえてきた。発言内容から察するに、彼がプロメテウスか。そういうことにしよう。
三角錐と直線の後には、白い直線が格子状に組まれたり、黒い四角柱が床から浮かび出てきたりした。(トリエンナーレの他の出品作品で例えるなら、高嶺格が立ち上げた、プールの底。)柱は天井へ向かい、平たくなり、やがて回転しながら再び鑑賞者の方へ降りてきた。辺りには白い光の球が浮遊している。
「僕は夢を見る。暗い洞窟の中、さまよう群衆」
柱の中に入った時。他の鑑賞者が視界から消え、私は雲海の上にいた。雲海というので正しいのかはわからないが、私はそう思った。これはカウカソスの山に縛り付けられたプロメテウスの視界だ、と。


「ここでは、過去と未来が繋がる。あなたと私が繋がる」
プロメテウスは、自分の体がだんだん言うことをきかなくなった体験を語っていた。やがて声も失われそうになって。
このあたり、前後関係がやや怪しいが(記憶力の欠損)、白い球は黒い球になっていて、やがてそれらが視界を埋めつくし、
暗闇にいた。すると光の筋が走った。
「脳にコンピューターが繋がれ、僕の意識は未来へ繋がる」
たしかこんなことを言っていた。

 

暗闇の中を、私は、光と共に飛ばされていた。左へ、右へ。下へ、上へ。
攻殻機動隊を思い出した、というレビューを見た。私は攻殻機動隊を知らないが、知っている人に聞いたら、なるほどそんな感じだ。)
「一人の人間の誕生に皆で喜ぶ」
「一人の人間の死に皆で涙する」
最後、光に包まれて、プロメテウスは語る。
「僕(たち)は、解放される」

 

VRの映像はここまでだった。ゴーグル越しに再び見た他の鑑賞者たちは、最初の位置から少しずつズレていた。
ここまでで30分。

ゴーグルを回収され、手荷物を受け取り、パーテーションの裏に一列に並べられたパイプ椅子に腰掛けて、ヘッドホンを付けるよう指示される。

 

アホな私は、この時初めて大リハ室がパーテーションで区切られていたことに気付く。
パーテーションの裏、椅子の前には、ふたつで1組の液晶画面が3組あった。画面には、床に並べて置かれた三本の蛍光灯が映っている。また、座った時の目線の高さには、上下30cmほどのカーテンが付いていた。


我々が座って待機していると、壁の向こうで次のVR鑑賞者たちが案内されている物音が聞こえた。
ここで、上演時間60分なのに30分ごとの案内となっていた理由を半分悟る。
壁の向こうの鑑賞者たちがVR機器を取り付けるまで、こちら側は放置された。ので、ただ目の前にある画面を見ながら、ここに何が映るのかと楽しみに待っていた。

 

上映が開始される。あちら側では三角錐から線が伸びてきていることだろう。画面に現れたのは電動車椅子に乗った男性だった。顔は汗ばんでいる。ヘッドホンからは彼が唾を飲み込む音が聞こえる。右の画面は彼の顔に迫り、左の画面は彼の(車椅子含め)全身を映している。
ヘッドホンを付けているとはいえ、プロメテウスの声の方が大きい。彼の声はこちらとあちらとで共有する形らしい。ただ、こちらには車椅子の男性の声も聞こえる。

 

おそらくプロメテウスと車椅子の男性とはイコールで結ばれる。発言内容もほぼ同じ。ただ、細部が異なる。はじめは助詞が違うとか、ほんの些細なものだったのが、タイミングも、内容も異なってきた。
「暗闇の中を、さまよう群衆」
「過去と未来が繋がる」
「あなたと私が繋がる」
パーテーションに付いていたカーテンが開き出した。そこから見えたのは、あちら側の人々だった。

 

プロメテウスの言葉の意味と、30分ごとの案内の理由のもう半分を悟る。黒い壁で囲われた部屋の中、さまよう、VR機器を付けた群衆。私(現在)が見ているのは、30分前の私(過去)である。
あちら側のひとりと目が合った、気がした。彼女は驚いたようだった。彼女の視界を想像する。壁の隙間から覗く、20人ほどの顔。そりゃ驚くだろうなぁ。 でも自分が見ているのが30分後の自分(未来)だと、思うだろうか。まさか自分が、いまこちら側の画面に映っている車椅子の男性と同様、見られる側になると、思うだろうか。
少なくとも私は想定していなかったから驚いているのだが。

 

プロメテウスと車椅子の男性はどんどん乖離する。
「僕は解放される」
車椅子が動き出し、男性は立ち上がった姿となって、 画面から出て行く。ここまでで30分。

 

リハ室を出ると、スタッフからパンフレットとアンケートが手渡された。無学な私は、画面に映っていた男性はALSの患者だったと、ここで知った。

 

*****

 

プロメテウスは人間にテクノロジーをもたらしたことで罰されて、でもアイスキュロスは三部作で彼を解放した。

テクノロジーによって、人間は進んじゃいけない方向に進むこともあります。ありました。人の道を逸れれば、罰せられて当然だと私も思います。

でも道さえ誤らなければ、そこには現実からの解放もありえるわけです。今は自分の体を思うように動かせないALSの患者さんたちも、テクノロジーの発展によって自分の体に結わえられた束縛から解放されるかもしれないのです。

道を踏み外さないよう、間違わないよう、「人間」としてテクノロジーとどう向き合うべきか。「人間」として持つ感情は、テクノロジーとどう寄り添うべきか。そんなことを問う作品なのだと私は解釈しました(正直自信はありません)。

 

あと、これを演劇というジャンルに入れていいのかもわかりません。演劇をどう定義付けるかにもよるけど。VR演劇、という言い方でいいのかなぁ。新しいものだから受け入れきれてないだけ、かも。

いちおう役者はいたもんね、我々が。

 

ひとつ確実に言えることは、今年のトリエンナーレのフィナーレにふさわしい作品でした、ということです。