うっかり始まってしまった「推しを語る」シリーズですが、前回はオウィディウスの作品に一切触れることなく終わってしまいました。
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今回からオウィディウスの各著作を見ていきます。まずはデビュー作『恋の歌(原題:Amores)』についてです。
紀元前25年、18歳のオウィディウスはこの作品で華々しくデビューしました。ガッルス、ティブッルス、プロペルティウスに続く四人目の恋愛エレゲイア詩人が誕生したのです。
ところが、オウィディウスの書くエレゲイア詩は、形式こそ先輩たちに倣ってはいたものの、どうも目指しているところというか見ているものが違っていました。
この「先輩たちとの違い」が今回のポイントです。
ところで、作品タイトルのAmoresとはamorすなわち「恋」の複数形です。Amorという恋の神様もいますが、彼については別名の方が知られています。ラテン語でいうとクピードー、英語だとキューピッドと言われるあの神様です。
キューピッドというと、背中に羽を生やしていて、弓矢でハートを射抜いてくる少年神を想像する方が多いと思います。ギリシャでは違っていましたが、オウィディウスの頃にはほぼこのイメージが定着していました。
この神様とひと悶着あるところから作品は始まります。
『恋の歌』第一巻第一歌の冒頭はこのようになっています。
Arma gravi numero violentaque bella parabam
Edere, materia conveniente modis.
Par erat inferior versus: risisse Cupido
Dicitur atque unum surripuisse pedem. (Ov. Am. 1.1-4)
私は重い韻律で武器と荒々しい戦争を歌う準備をしていた、
形式と題材が合うように。
下の行も同じ長さだった。クピードーが笑って
足をひとつ持ち去ったらしいんだ。
ここで言う「重い韻律」は六脚律(ヘクサメトロス)を指します。前回述べたとおり、六脚律は『イリアス』のような英雄叙事詩か、『神統記』のような教訓詩、あるいは『ホメロス讃歌』のような讃歌で使われる韻律です(牧歌はこの伝統に逆らう形でヘレニズム期に生まれたジャンルなので除外)。そして、オウィディウスが歌おうとしていたものは「武器と荒々しい戦争」とあることから、詩人が英雄叙事詩を目論んでいたことがわかります。
そう、あろうことかこの詩人は恋愛エレゲイア詩の冒頭で英雄叙事詩を書こうとしていたと暴露するわけです。
なのに「クピードーが(下の行の)足をひとつ持ち去った」から、二行目は五脚律になってしまったのです。奇数行が六脚律で偶数行が五脚律という、いわゆるエレゲイアのかたちになってしまったということですね。しかも、そのような形式の変更は詩人自身が意図したものではなく、あくまで少年神クピードーの戯れによるものなのです。
つまり、オウィディウスにとって叙事詩と恋愛詩との違いは子どもの悪戯くらい些細なもの、ということが冒頭の4行から読み取れます。相当の覚悟と自信を持って恋愛エレゲイア詩に挑んだプロペルティウス先輩が聞いたら「お前恋愛詩をナメとんかボケェ!!」とか言いそうで心配です(?)
戦争や叙事詩に対する先輩詩人との温度差は、いわばジェネレーションギャップによるものかもしれません。
恋愛詩というジャンルを繁栄させたふたりの詩人――ティブッルスとプロペルティウス――は、ローマ内乱の時期に従軍経験があります。そして、農地没収や身内の死など、戦争による被害を直に被った人物です。
だからこそ彼らは戦争をいたく憎みました。オクタウィアヌスが皇帝アウグストゥスとなり、文芸奨励の策のもとに自身の威光を称える叙事詩を所望したときも、皇帝の望みに真っ向から逆らうような詩を書きました。彼らにとって恋愛をエレゲイアの韻律に乗せて歌うことは大きな覚悟に基づいていたはずです。たとえ反感を買うことになっても自分たちは戦争(について書くこと)で名誉を得ることは絶対にしない、という。
他方、オウィディウスはもう少し下の世代なので、戦争というものはどこか他人事だったのではないかと思われます。カエサルが暗殺されたときにはまだ生まれておらず、詩人たちがたびたびほのめかす農地没収事件のときは生まれたばかり。アクティウムの海戦のときでまだ12歳です。
少し悲しくも感じられますが、戦争を直に体験していない彼にとっては叙事詩という一大ジャンルへの憧れの方が戦争への恐れよりも確かな感情だったのでしょう。その証拠に、『恋の歌』を締めくくる第三巻第15歌でもオウィディウスはこのように歌っています。
Culte puer puerique parens Amathusia culti.
Aurea de campo vellite signa meo!
Corniger increpuit thyrso graviore Lyaeus:
Pulsanda est magnis area maior equis.
Inbelles elegi, genialis Musa, valete,
Post mea mansurum fata superstes opus! (Ov. Am. 3.15.15-20)
上品な少年とその母であるアマートゥスの女神よ、
黄金の軍旗を我が戦場から引き抜け!角を
生やしたリュアエウスがより重い聖杖を鳴らした。
より大きな走路がより大きな馬で打たれるべきだ。
戦に向かないエレゲイアよ、陽気なムーサよ、
さようなら、私の死後も生き残り続ける作品よ!
やっぱり彼は「重い聖杖」だとか「大きな走路」だとか言っています。しかも比較級で「より」が付く。恋人コリンナとの恋愛体験を綴りつつも、オウィディウスの心は重くて大きい叙事詩に向いていたらしく、エレゲイアには別れを告げています。とか言いつつ今後もエレゲイアは使い続けるし、恋についても歌うんですけどね。
ここでプロペルティウス先輩が神に命じられてエレゲイアの道に進んだときの記述を見てみましょう。作品内でプロペルティウスはこのように書いています。
parvaque iam magnis admoram fontibus ora
…
cum me Castalia speculans ex arbore Phoebus
sic ait aurata nixus ad antra lyra:
'quid tibi cum tali, demens, est flumine? quis te
carminis heroi tangere iussit opus?
non hinc ulla tibi sperandast fama, Properti:
mollia sunt parvis prata terenda rotis; (Prop. 3.3.5, 13-18)
私が大きな泉に小さな口を近づけると
(中略)
ポエブスはカスタリアの木々から私を眺めつつ
洞窟のそばで黄金のリュラによりかかってこのように言った。
「狂人め、なぜこのような流れに身を寄せるのか。誰がお前に
英雄の歌の仕事に触れるよう命じたのか。
プロペルティウスよ、お前が望むべき名声はここにない。
小さな車輪で柔らかい草原を踏むべきだ」
先ほどのオウィディウスの文章と同様に、プロペルティウスも神様に指示されてエレゲイアの道へ進んだと言っています。ただ、ポエブス(=アポロン)は「大きな泉」こと叙事詩の道へ進もうとしたプロペルティウスに「狂人め」という強い言葉を投げかけて叱っています。軌道をぐいと修正するようなポエブスの物言いは、クピードーの戯れとはまるで違う真剣さを帯びています。それに、ポエブスはクピードーと違って大人の神様ですし、詩の神様でもありますから、説得力が段違いです。
そして「小さな車輪」を用いるエレゲイア詩の道へ踏み込んだというプロペルティウスですが、彼がエレゲイア詩人であることにどれだけプライドを持っていたかがよくわかる一節です。別の詩では「ローマのカリマコス」を自称するくらいですし。
たしかに『恋の歌』は恋愛をテーマとしたエレゲイア詩であり、コリンナとの何やかんやが綴られています。
しかし、従来の恋愛詩人たちの作品と共通するのは形式だけで、作家がエレゲイアにかけた想いは完全に異なります。先輩たちにとっては世間に逆らって反戦を訴えるという重大な役目を持つ恋愛詩も、オウィディウスにとっては遊び道具でしかなかったのです。
また、先輩たちは恋人を霊感の源泉としており、プロペルティウスはキュンティアが『イーリアス』に並ぶ優れた作品をもたらしてくれるのだと言っていました。ところが、オウィディウスの詩を作るのはコリンナではなくアモルであり、また他でもない己の詩才でした。
かのニーチェはギリシャ三大悲劇詩人のひとりエウリピデスを「悲劇の破壊者」と評しました。それに倣ってオウィディウスを「恋愛エレゲイア詩の破壊者」と言っても差し支えないのでは、と私は思います。
まぁ「破壊」と言うとかなり誤解を生みそうですが、エウリピデスもオウィディウスも、そのジャンルで今まで試されなかったことをやってのけた詩人です。そしてその後に続けるぐらい優れた詩人が現れることはなかった。たしかにひとつのジャンルを「破壊」したことにはなるかもしれませんが、そういう破天荒な詩人がいてもいいですよね、面白いし(笑)
そして、オウィディウスの恋愛詩革命(「破壊」を良いように言い換えたぞ!)はこの後どんどん発展していきます。
次回は『名高き女たちの手紙』についてです。
これは恋愛詩というか書簡詩と言うべきか……?