ディズニー映画『ヘラクレス』コメンタリ ~His weakness → Dirty deal~
前回の記事はこちら
メガラとの甘いひとときから未だ醒めきらないヘラクレスですが、物語はここから不穏な展開を見せます。
こちらは「家政婦は見た!」ならぬ「サテュロスは見た!」な状態のピロクテテス。
「ごめーん☆ちょっとよく聞こえなかったー☆」とハデスさんが耳をほじほじするところ。正確なセリフは「硫黄の欠片が耳につまっちゃってー☆」です。ギリシャ神話のタルタロスとキリスト教のゲヘナが融合した結果、このようなセリフになったと思われます。
硫黄という物質は古代でもさまざまな目的で使われていました。古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』の第22歌にはこのような記述があります。オデュッセウスから乳母エウリュクレイアに対する発言です。
οἶσε θέειον, γρηΰ, κακῶν ἄκος, οἶσε δέ μοι πῦρ,
ὄφρα θεειώσω μέγαρον: (Od. 22. 481-82)
婆や、凶事を祓うべく硫黄と火を持ってきてくれ。硫黄をくべて館を浄めようと思う。
要するに、硫黄は主に燻蒸のために使われました。その用途から、「火」と「硫黄」はだいたいセットで出てくるフレーズです。
しかし、聖書の世界だと別のイメージが付加されます。まず旧約聖書から引用。
主は、主に従う人と逆らう者を調べ
不法を愛する者を憎み
逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り
燃える硫黄をその杯に注がれる。 (詩編11:5-6)
わたしは疫病と流血によって彼を裁く。わたしは彼とその軍勢、また、彼と共にいる多くの民の上に、大雨と雹と火と硫黄を注ぐ。 (エゼキエル書38:22)
このように、硫黄は神様がその御心に適わない人間に対してもたらすもの(罰と言ってもいいかもしれない)のひとつとして挙げられています。また、新約聖書『ヨハネの黙示録』ではもう少しイメージが発展します。
そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。 (黙示録20:10)
しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。 (黙示録21:8)
「火と硫黄の池」へ、悪魔や不法を犯した者が投げ込まれていく――そこはまさに「地獄」と言われる場所です。「昼も夜も世々限りなく」苦しみを受ける、という点ではギリシャ神話のタルタロスにも通じます。実際『ペトロの手紙2』では「地獄に引き渡す」という意味で ταρταρώσας という言葉が使われているので、やはり共通するものはあるのでしょう。ただし、基本的には新約聖書でも地獄は γέεννα (もとのヘブライ語をカタカナ音写すると「ゲヘナ」)といいます。
ここで「地獄」とハデスの関係を考えてみます。タルタロスは冥界の一部なので、ハデスの管轄下です。ただし、この映画のハデスは悪魔的要素も持ち合わせているので、ゲヘナの住人であってもおかしくありません。
そうしてタルタロスとゲヘナが混ざった結果、ハデスのいるところに火と硫黄の池あり、ということでハデスの耳に硫黄の欠片が入り込んだと考えられます。
「悪魔」ハデスについてはこちらでも触れています。四年前…!?
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日本語吹替だと「お前は黙って俺の言うことを聞けばいいんだ」というセリフになっている場面(しっかりモラハラ)
元のセリフは「俺が『盆に乗ったワンダーボーイの首が欲しい』と言えば、お前はただ『ミディアムorウェルダン』と聞けばいいんだ」です(冒頭の画像が上のに続きます)。
これはギリシャ神話と関係ありませんが、「盆に乗った首」といえば、サロメの話を思い出します。新約聖書の福音書(ヨハネ以外)に載っている逸話ですが、ここではサロメという名前は出てきません。どうやら名前の初出はフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』のようです。
ただ、ここでハデスとサロメを重ねた意図は全然わかりません。これだと思う解釈が見つかった方はコメントなどで教えてくださるとうれしいです……。
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場所は変わってヘラクレスの訓練場。ギリシャのギュムナシオンは公共施設ですが、この訓練場はどうなのでしょう。私財でこんなに立派な施設を造った設定ならすごい。
ちなみに、ギュムナシオンは運動施設(+入浴施設)に留まらず、哲学者の議論の場や学校でもありました。ヘラクレスの競技場の奥にある神殿のような建物も、そのような社交場だと考えられます。
その中では浮かれたヘラクレスが吊り輪や鞍馬で大暴れしています。しかし、これらは現代だと体操競技の一部ですよね。そしてよく見ると、この競技場には短距離走などで使うトラックがありません。
古代ギリシャにはさまざまなスポーツがありました。短~長距離走、ボクシング、パンクラティオン(総合格闘技)、戦車競走、五種競技(徒競走、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳び、レスリング)などなど。ざっと見ると、陸上競技か格闘技に分類されるものたちです。
なので、ヘラクレスが陸上ではなく吊り輪や鞍馬に取り組んでいるのは不思議なのですが、細かいことは気にしてはいけないのかもしれません。
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メガラを「アプロディーテより美しい」とのたまうヘラクレス。
このように神を貶めるようなことを言っていると、その神の怒りを買うのがギリシャ神話というもの。ヒュブリス(ὕβρις)ってやつですね。せっかくなので、前回の記事でも言及したプシュケ(私は長音記号を省略したい派)の物語の始まりをもう少し詳しく説明します。
『黄金のロバ』によると、プシュケはたいそう美しく、その美しさは次第に、ウェヌスが人間界へ現れたのだとか、大地から生まれたウェヌス(本物のウェヌス様は海から生まれたので)だとかと噂されるようになりました。それで人々はプシュケを女神がごとく拝み、ウェヌスの神殿へは詣でなくなったのです。これにはウェヌス様もお怒りになり、息子アモルを呼び出して「プシュケが世界一卑しい男と恋に落ちるように」働くよう命じたのです。その後どうなったかは前回も少し触れましたが……『黄金のロバ』第五巻にてご確認ください。
美しさを誇ったせいで痛い目をみた人物なら、エチオピア王妃カシオペア(と娘アンドロメダ)の例がありますし、織物の才能を過信したアラクネや、子供の多さでつけあがったニオベといった人たちもいます。男性だと、アポロンと音楽で競おうとしたサテュロスのマルシュアスとか。
いずれにせよ、傲慢な言動をとった本人はろくなことにならないので、神様の前ではおとなしくしているべきです。
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ついに対面を果たしたハデスとヘラクレス。
ハデスがいつにもまして饒舌ですが、その中で「8月は予定ぎっしり」と言います。
予定ぎっしりなのは、8月が戦争シーズンだからです。
戦争は年がら年中民間人も巻き込んで行われるもの、というのが現代人の感覚でしょう。しかし、古代ギリシャの戦争は農閑期である夏にだけ行われるものでした。また、ギリシャの兵士たちは基本的に兼業兵士でした。裕福なひとは奴隷を雇い、貧困層は自分で畑を耕していましたが、とにかく多くのギリシャ人は農業従事者だったのです。
そのため、夏に戦いを始めても、秋になれば小麦の種まきやブドウの収穫などで本業が忙しくなるため、解散せざるをえませんでした。そのため、戦争で死傷者が出る夏こそ、冥界の王ハデスにとっては繁忙期なのです。
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今日はここまで。ついに物語は最終局面へ!
(つづく!)